量子コンピュータに最適な量子演算シーケンスをシステマティックに見つける手法を開発

2022年9月1日

国立研究開発法人情報通信研究機構
慶應義塾大学
東京理科大学
東京大学大学院理学系研究科

ポイント

  • 量子コンピュータに最適な量子演算シーケンスを見つける新しい手法を開発
  • 新手法はGRAPEに基づき、量子演算シーケンスをシステマティックに見つけ、タスクの効率的な実行が可能に
  • 量子コンピュータのパフォーマンス向上や環境負荷低減への貢献に期待
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICTエヌアイシーティー、理事長: 徳田 英幸)は、慶應義塾大学(塾長: 伊藤 公平)、東京理科大学(学長: 石川 正俊)、東京大学(総長: 藤井 輝夫)と共同で、量子コンピュータに最適な量子演算シーケンスをシステマティックに見つける手法の開発に初めて成功しました。
量子コンピュータがタスクを実行するためには、量子演算シーケンスを書く必要がありますが、今まではコンピュータの操作者が既存の方法(レシピ)に基づいて独自のやり方で、最適だと思われる量子演算シーケンスを書いていました。今回開発したのは、最適制御理論(GRAPEアルゴリズム)を応用し、考えられる全ての量子演算シーケンスの中から、理論的に最適なものを特定するシステマティックな手法です。
この手法は、数十量子ビットを含む中規模の量子コンピュータの有用なツールになると期待され、近い将来、量子コンピュータのパフォーマンスの向上や環境負荷低減への貢献が期待されます。
本成果は、2022年8月23日(火)に、米国の科学雑誌「Physical Review A」に掲載されました。

背景

現在、開発途上の量子コンピュータは、社会に大きな影響を与えることが期待されています。エネルギー的側面からの環境負荷低減への貢献や、応用先として医療用の新しい化学物質や、よりクリーンな環境のための材料探索の加速などが挙げられます。
量子コンピュータにとって大きな問題の一つに、量子状態はノイズに非常に敏感なので、安定して長時間維持すること(コヒーレントな量子状態を維持すること)が難しいことが挙げられます。最高のパフォーマンスを得るには、コヒーレントな量子状態を維持できる時間内で演算を進める必要がありますが、演算の指示書に相当する“量子演算シーケンス"は操作者がレシピに基づいて“手動"で行っており、最適なシーケンスをシステマティックに特定する手法が求められていました。

今回の成果

図1 量子演算シーケンス(概念図)
水平方向の6本の青線は6つの量子ビットを表し、左側が入力、右側が出力を表す。左から順に演算が実行される。赤い四角は1量子ビット演算、2本の青線をつなぐ緑の縦の線分は2量子ビット演算を表す。最適な量子演算シーケンスは、最も少ない操作数で実現される。


図2 4個の量子ビット状態を準備する場合に達成できる最大忠実度F
Nは状態準備に使う2量子ビット演算ゲート数(図1の緑の縦の線分)、Fは忠実度(1未満だと目的状態の生成は不完全)、nは量子ビット数を表す。

本研究チームは、最適な量子演算シーケンスを特定するシステマティックな手法を開発しました。
コンピュータが情報を保存及び処理する際、全ての情報は0又は1の値を持つビットの文字列に変換されます。人間が理解できる言語で記述されたコンピュータプログラムを、量子コンピュータが情報処理できるように変換したものが量子演算シーケンスです(図1参照)。量子演算シーケンスは、1量子ビット演算と2量子ビット演算から成り立ちますが、最も少ない操作数(赤い四角の数、緑の縦線の数が最少)で、高いパフォーマンスを発揮するシーケンスが最適なシーケンスです。
新しい手法は、数値最適制御理論アルゴリズムであるGRAPEと呼ばれる計算アルゴリズムを使用して、基本的な量子演算の全ての可能なシーケンスを分析するものです。具体的には、各量子演算シーケンスとパフォーマンス指標(忠実度F)の表を作成するのですが、量子ビットの数と調査対象の操作の数に応じて、数千から数百万の範囲の中から、蓄積されたデータに基づいて、最適な量子演算シーケンスがシステマティックに特定されます。図2は量子演算シーケンスとそのパフォーマンス指標の関係を表す図であり、量子ビットnが4個の場合、2量子ビット演算ゲート数Nが5個以上必要ということが分かります。
また、新しい手法では全ての量子演算シーケンスの完全なリストを分析し、従来のレシピを評価することも可能となるため、少数量子ビット量子アルゴリズムのパフォーマンスに関する過去及び将来の研究のベンチマークを確立するための貴重なツールを提供できます。

今後の展望

図3 量子コンピュータパフォーマンスの改善(概念図)
量子コンピュータのコヒーレンスは時間の経過と共に低下する。 コヒーレンスが低くなり過ぎると、量子コンピュータの情報が無意味になる。量子コンピュータの動作を最適化することで、量子コヒーレンスが有用性のしきい値を下回る前により多くの情報を処理できるようになる。

本研究によって開発に成功した、量子コンピュータに最適な量子演算シーケンスを見つけるシステマティックな手法は、有用なツールとして中規模の量子コンピュータに適応可能であるため、近い将来、量子コンピュータのパフォーマンスの向上(図3参照)や環境負荷低減への貢献が期待されます。
今回、ある特定の量子タスクについて多数の最適な量子演算シーケンスが存在することが明らかになりました(詳細は補足資料参照)。本結果は、確率論的アプローチにより、本手法をより多くの量子ビットを用いた大規模で複雑な量子タスクに拡張し、最適な量子演算シーケンスを発見できる可能性が高いことを示唆しています。さらには、大量のデータセットの分析に基づくアプローチでは、私たちの新しい手法を機械学習と統合することで予測能力を更に強化できる可能性も示唆しています。今後、本研究チームは、今回得られた成果を実際の量子アルゴリズムから取得したタスクの最適化に応用していきます。

各機関の役割分担

・情報通信研究機構: 研究の構想、GRAPEアルゴリズムを用いた解析の遂行、論文執筆
・慶應義塾大学: 研究の構想・議論、論文推敲
・東京理科大学: 解析結果と解釈に関する議論、論文推敲
・東京大学: 解析結果と解釈に関する議論、論文推敲

論文情報

掲載誌: Physical Review A
DOI: 10.1103/PhysRevA.106.022426
URL: https://journals.aps.org/pra/abstract/10.1103/PhysRevA.106.022426
論文名: Numerical analysis of quantum circuits for state preparation and unitary operator synthesis
著者: Sahel Ashhab, Naoki Yamamoto, Fumiki Yoshihara, and Kouichi Semba


なお、本研究の一部は、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)「知的量子設計による量子ソフトウェア研究開発と応用」(JPMXS0120319794, 研究代表者: 藤井 啓祐)と科学技術振興機構(JST)CREST「超伝導量子メタマテリアルの創成と制御」(JPMJCR1775, 研究代表者: 仙場 浩一)によってサポートされました。

補足資料

今回の成果の詳細

新しい手法では、基本的な量子演算の全ての可能なシーケンスを分析し、数値最適制御理論アルゴリズムであるGRAPEと呼ばれる計算アルゴリズムを使用して、各量子演算シーケンスに必要な最適なパラメーターを見つけます。このようにして、量子演算シーケンスとそのパフォーマンス指標の表が作成されます。このような各テーブルのサイズは、量子ビットの数と調査対象の操作の数に応じて、数千から数百万の範囲です。蓄積されたデータに基づいて、最適な量子演算シーケンスが特定されます(図4参照)。

図4 2量子ビット演算ゲート数Nの関数として、n量子ビットの量子状態を準備するために達成可能な最大忠実度F
(N=1, F=1)のは、量子ビット2個の任意の状態を完全に準備する(F=1)には2量子ビット演算ゲート1個(N=1)で可能であり、(N=3, F=1)のは、量子ビット3個の場合には2量子ビット演算ゲート3個が必要という既知の事実を表す。
(N=6, F=1)のは、量子ビット4個の任意の状態を完全に準備する(F=1)には2量子ビット演算ゲートが最低6個必要という今回得られた新知見を表す。(N=5, F=1)付近のは、量子ビット4個の任意状態は2量子ビット演算ゲート5個でかなり高い忠実度で表すことが可能という実用性の高い新たな知見も今回初めて得られた。

最適な量子演算シーケンスを識別することに加えて、新しい手法を使用して、他のいくつかの結果が得られました。比較的短い量子演算シーケンスの場合でも、通常、同じ効率で量子タスクを実行する様々な方法が多数あることが分かりました。目的のタスクを実行する方法を一つ見つけるための従来法では、この結果を得ることは不可能です。
この研究で得られたもう一つの結果は、従来の方法では短すぎて目的のタスクを完了できないと判断された短い量子演算シーケンスを使用しても、高効率が達成される場合があることです(図4(N=5, F=1)付近の)。実際のアプリケーションの観点から、デバイスの他の全てのノイズと欠陥を考慮すると、このような短い量子演算シーケンスを使用することが望ましい場合があります(図5参照)。

図5 情報損失のある環境で同じ量子タスクを実行する量子演算シーケンスの比較
量子コンピュータのノイズと不完全性により、情報が徐々に失われる。量子演算シーケンスが長いと、計算が完了する前に元の情報が失われるため、計算が役に立たなくなる可能性がある。この場合、操作を最適化すると、計算を正常に完了するコンピュータの能力に劇的な違いが生じる可能性がある。最適化されていないシーケンスと最適化されたシーケンスの違いは、コンピュータのサイズが大きくなるにつれて大きくなる。その結果、量子演算シーケンスを最適化することで、量子コンピュータの効率を桁違いに向上させることができる。赤い四角と緑の線分は、図1と同様、それぞれ1量子ビット演算、2量子ビット演算を表す。稲妻の記号は、情報損失を引き起こすノイズを示す。

用語解説

量子コンピュータ

従来型の古典コンピュータでは使う術がなかった、状態の重ね合わせやエンタングルメントなど量子に自然に備わった能力を使い、全く新しい方法で桁違いに高速な計算が可能となるコンピュータ。
2019年にJohn Martinis教授(Google: 当時)と彼のチームは、53量子ビットの超伝導量子プロセッサを使用して、量子超越性(従来のコンピュータでは解決できない問題を量子コンピュータが実際の時間内に解決できること)を実証した。最近、世界中のいくつかの研究チームが、数十の量子ビットを含む量子コンピュータを構築した。現在、IBMのEagle プロセッサは、127量子ビットを持つ最大の量子コンピュータである。このサイズ(数十又は数百量子ビット)のプロセッサは、中規模の量子コンピュータと呼ばれる。


GRAPE

GRadient Ascent Pulse Engineeringの略称。最適制御理論の原理を使用して、指定された方法で量子システムを制御するための最適なパルスを見つける数値アルゴリズム。


ゲート

1ビット又は2ビットの情報に対して実行される単純な操作。近年のいくつかの研究では、様々な量子タスクを実行する量子演算シーケンスを構築するための改善された方法(レシピ)が提案されている。しかし、これらのレシピでは、必ずしも最短の量子演算シーケンスが得られるわけではない。


量子コヒーレンス

デバイスのノイズやその他の欠陥によって情報がどの程度劣化したかを表す0〜1の値。情報が最初に量子プロセッサに入力され、まだ元のままである場合に1であり、量子コヒーレンスの値が0の場合は、元の情報が完全に失われていることを意味する。量子コンピュータの更なる発展において取り組むべき最大の問題の一つは、コンピュータ内部のノイズによって情報が徐々に失われること(コヒーレントな量子状態を維持できないこと)にいかに対処するかである。


確率論的アプローチ

可能な解をランダムに選択し、成功又は失敗の判定・分析を行う計算方法。非常に多くの可能な解が存在する場合、全ての解を分析する方法よりも、確率論的方法の方が優れたパフォーマンスを発揮する場合がある。

本件に関する問合せ先

国立研究開発法人情報通信研究機構
未来ICT研究所 小金井フロンティア研究センター
量子ICT研究室

アシュハブ サヘル

慶應義塾大学
理工学部 物理情報工学科

山本 直樹

東京理科大学
理学部第一部 物理学科

吉原 文樹

東京大学大学院理学系研究科
附属フォトンサイエンス研究機構

仙場 浩一

広報(取材受付)

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広報部 報道室

慶應義塾
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