国立研究開発法人情報通信研究機構
2017年7月11日
ポイント
- 光子一個一個のレベルで情報をやり取りする量子通信を衛星と地上局間で実証
- 超小型衛星を利用した「衛星コンステレーション構築」に向けた取組
- 衛星通信網の長距離・高秘匿化を低コストで実現する技術。宇宙産業の成長に貢献を期待
NICTは、超小型衛星(SOCRATES)を使い、東京都小金井市にあるNICT光地上局との間で、光子一個一個のレベルで情報をやり取りする量子通信の実証実験に成功しました。SOCRATESは、重量50kg、サイズ50cm角で、衛星量子通信用途としては世界最軽量・最小サイズの衛星です。この衛星にはNICTで開発した小型光通信機器(SOTA)が搭載されており、毎秒1千万ビットの速度で光の信号を地上局へ送信します。地上局では光子一個一個の到来を検出しながら信号を復元することで、高度600kmを秒速7kmで高速移動する衛星との量子通信を実現しました。超長距離・高秘匿な衛星通信網の構築に向けた大きな一歩となります。
本成果により、これまで大型衛星を必要とした衛星量子通信が、より低コストの小型衛星で実現できるため、多くの研究機関や企業による開発が可能になると期待されます。今後の宇宙産業の発展に向け新たな1ページを拓く成果です。なお、この成果は英国科学誌「Nature Photonics」のオンライン版に日本時間7月11日(火)午前0時に掲載される予定です(誌上掲載は8月号)。
※ 本研究開発の一部は、内閣府 総合科学技術・イノベーション会議が主導する革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の支援を受けています。
背景
今世紀に入り、小型衛星を低コストで打ち上げる技術が進展し、多数の衛星を連携させ、地球全域をカバーする通信網や高解像度の観測網を形成する『衛星コンステレーション』構築への取組が活発化しています。そこでは、短時間で大量の情報を安全に地上まで送信する技術が必要になりますが、従来の電波やマイクロ波は使用できる周波数帯が既に逼迫しており、通信の大容量化には限界があります。これに対して、レーザを用いる衛星光通信は、広大な周波数帯を持ち、電力効率の高い伝送が可能なため、衛星通信網を支える重要な技術として期待されています。
また、更なる長距離・高秘匿化を実現できる衛星量子通信の研究開発も、日本、中国、欧米各国で活発に行われています。2016年8月には、中国科学技術大学を中心とするチームが600kgの大型の量子科学技術衛星を打ち上げ、2017年6月に1,200km離れた2つの地上局に向けて衛星から量子もつれ配信を行う実験に成功しました(最近の研究開発動向については補足資料参照)。
今回の成果
NICTでは、超小型衛星(SOCRATES)に搭載された衛星搭載用小型光通信機器(SOTA)(図1参照)から、2つの偏光状態に0,1のビット情報をランダムに符号化した信号を毎秒1千万ビットの速度(10メガビット/秒)で地上局へ送信しました(図2a, b参照)。東京都小金井市にあるNICT光地上局では、口径1mの望遠鏡でSOTAからの信号を受光し(図2c、補足資料図3参照)、量子受信機まで導波してビット情報を復号しました(図2d参照)。
今後の展望
今回開発した衛星量子通信技術は、これまで多額の予算と大型衛星が必要だった衛星量子通信を、より低コストの軽量・小型衛星で実現することを可能にします。したがって、多くの研究機関や企業でも開発が可能になると期待されます。さらに、限られた電力で超長距離の通信が可能となることから、探査衛星との深宇宙光通信の高速化にも道を切り拓くものです。
今後、更なる光子伝送の高速化と捕捉追尾技術の高精度化により、衛星・地上間での量子暗号の実現と最終的には衛星コンステレーション上での安全な鍵配送や大容量通信の実現を目指します。
衛星量子通信実験のイメージビデオ
掲載誌:Nature Photonics電子版(誌上掲載は8月号)
DOI:10.1038/nphoton.2017.107
掲載論文名:Satellite-to-ground quantum-limited communication using a 50-kg-class micro-satellite
著者:Hideki Takenaka, Alberto Carrasco-Casado, Mikio Fujiwara, Mitsuo Kitamura, Masahide Sasaki, and Morio Toyoshima
2015年6月3日
補足資料
衛星量子通信技術に関する研究開発動向
今世紀に入り、小型衛星を低コストで打ち上げる技術が進展し、高度600kmの低軌道(太陽同期軌道)を周回する多数の衛星を互いに連携させることにより、地球全域をカバーする通信網や高解像度の観測網を形成する『衛星コンステレーション』構築に向けた取組が活発化しています。衛星コンステレーション上では、多くの重要情報やビジネス価値の高い情報が流れ蓄積するため、短時間で大量の情報を安全に地上に送信する技術が必要になります。しかしながら、衛星通信で使われる電波やマイクロ波の周波数帯は既に逼迫しており、周波数の許認可取得も容易ではなく、通信の大容量化にはおのずと限界があります。これに対して、レーザを用いる衛星光通信は、広大な周波数帯を持ち、電力効率の高い伝送が可能なため、衛星通信網を支える重要な技術として期待されています。衛星光通信は、過去10年間で日米欧の多くの宇宙ミッションによって実証されてきました。2014年5月には、NICTが開発した小型光通信機器(SOTA)が超小型衛星SOCRATESに搭載され高度600kmの太陽同期軌道に投入されました。そして、低コスト化が可能な波長1.5ミクロンレーザでの光通信の実証実験に成功し(2015年6月3日NICT報道発表)、2016年から量子通信の実証実験を行ってきました。
量子通信は、光子一個一個のレベルで情報を制御できるため、衛星光通信の容量や距離を更に改善することができます。また、情報漏えいを完全に防ぐ量子暗号の実現にも必須の技術になります。特に、衛星光回線では大気圏での減衰しかなく、その減衰量は光ファイバよりも小さいため、地上光ファイバ網では不可能だった大陸間スケールでの量子通信や量子暗号が可能になります。
2016年8月には、中国科学技術大学を中心とするチームが600kgの大型の量子科学技術衛星(通称「墨子」、英語名Mozi)を打ち上げ、2017年6月に1,200km離れた2つの地上局に向けて衛星から量子もつれ配信を行う実験に成功しました(J. Yin et al., Science, vol. 356, no. 6343, p. 1140, June 2017)。中国チームは、この量子科学技術衛星を用いて、さらに大陸間スケールの量子暗号の実験にも取り組んでいます(E. Gibney, Nature vol. 535, p. 478 (2016).)。
このように衛星通信分野では、この数年、光通信や量子通信技術の開発をめぐって、日本、中国、欧米各国が熾烈な研究開発競争を繰り広げる時代に入っています。
SOTAから送信された信号は、ビームの広がりや地上望遠鏡での集光能力の限界、さらには大気伝搬中に散乱や損失のため、かなりの部分が受信機まで到達する前に失われてしまいます。また、地上局の1m望遠鏡まで届いた信号も減衰しており、パルス当たり平均0.1光子以下という微弱なエネルギーしか含まれていません。このような微弱信号は従来の光検出器では検出が不可能なため、低雑音の光子検出器を組み込んだ量子受信機を用いて検出します。これにより、従来の衛星光通信より更に高効率の通信が可能になります。また、パルス当たり1光子に満たない信号を用いることで、盗聴を確実に検知し安全に鍵配送を行う量子暗号が可能になります。
このような微弱信号による量子通信や量子暗号を実現するためには、まず、量子受信機で検出した光子信号に正確な時刻を刻印し、衛星・地上局間での時刻のずれを正確に補正(時刻同期)するとともに、大気伝搬中に変化した光子の偏光軸を地上局で正確に補正(偏光軸整合)した上で、ビット情報を復号する必要があります。このような技術は、現在、中国と日本しか持っておらず、中国では600kgの大型衛星で実現しています。
これに対して、NICTは10分の1以下となる重量50kgの小型衛星で実現する技術を開発しました。SOCRATESは、秒速7kmで高速移動するため、信号波長も地上局に近づくときには短波長側に、遠ざかるときには長波長側に変移します(ドップラーシフト)。このため、衛星から出射される信号間隔に対比して、地上局に届く光子の到来時間の間隔はSOCRATESの飛行中に短くなったり長くなったり変化します。この時刻変化を正確に補正できないと、長いビット系列を誤りなく正確に処理することはできません。中国の衛星量子通信実験では、量子通信用のレーザとは別に同期専用の短パルスレーザを衛星に組み込んで地上局との時刻同期を実現しています。一方、NICTでは、一つのレーザ光源のみを用いて、時刻同期と量子通信を実現しました。量子通信信号の中に長さ約32,000ビットの特殊なパターン(同期用系列)を埋め込んで送信し、地上局では受信した光子信号の系列から直接、時刻同期と偏光軸整合を行う技術を開発し、軽量の小型衛星による量子通信技術を世界で初めて実現することに成功しました。
図4に、2016年8月5日深夜に行われた実験におけるSOCRATESの軌道、及びドップラーシフトの観測結果を示します。図4aに示すように、SOCRATESはNICT光地上局付近の太平洋上空を南から北へ飛行し、日本時間22時59分41秒にNICT光地上局へ744kmの距離まで再接近しました。その時刻付近の2分15秒間にわたって量子通信が行われました。図4bがこの軌道情報から予測されるドップラーシフトの理論値で、図4cが観測値になります。理論と合うドップラーシフトの観測値が得られ、ドップラーシフトに相当する周波数変化が正確に補正できていることを示しています。この周波数補正に基づいて、SOCRATESから到来する光子の時間間隔の変化を1億分の1秒の高精度で正確に補正しながら、衛星・地上局間での時刻同期を確立します。
※ 国土地理院ウェブサイトの世界衛星モザイク画像を加工して使用 http://cyberjapandata.gsi.go.jp/#5/38.754083/137.109375/&ls=std%7Cmodis&blend=0&disp=01&lcd=modis&vs=c0j0l0u0t0z0r0f0 Images on 世界衛星モザイク画像 obtained from site https://lpdaac.usgs.gov/data_access maintained by the NASA Land Processes Distributed Active Archive Center (LP DAAC), USGS/Earth Resources Observation and Science (EROS) Center, Sioux Falls, South Dakota, (Year). Source of image data product.
時刻同期を確立した後、光子信号は0,1のビット情報に復元されます。しかし、地上局で復元されたビット系列とSOTAから送信されたビット系列との間には依然としてビット位置のずれが残っているため、図5aに示すように約32,000ビットの同期用系列を用いた相関解析により、このずれを補正します。図5bに示すように、相関ピークは29,656番目のビット位置にあり、地上局ではこの位置を原点とみなしてビット系列の復号を行っていきます。
実際に得られた地上局での光子検出信号の系列のヒストグラムの例を図6に示します。地上局で光子が検出された時刻には、SOTAの送信機が必ず光パルスを出射していることが分かります。このことが、極めて損失の大きい衛星・地上局間の通信路でも、光子検出信号から正確にビット系列の同期が確立できていることを示しています。
最後に、衛星・地上局間で偏光軸整合を行います。地上局に対するSOCRATESの姿勢は時々刻々変わるため、SOTAから送信される信号の偏光軸も時々刻々変化します。この相対変化を補正しないと、0,1のビット情報に対応する2つの偏光状態を正確に識別できません。図7に示すように、時々刻々、偏光軸整合を行い、2つの偏光状態が識別されていることがわかります。この際の識別性能は、ビット誤り率において3.7%まで下げられるという良好な結果を確認しました。これは、量子暗号でビット誤り率の標準的な条件とされる10%をクリアするもので、50kg級の超小型衛星を使った実験としては世界トップのデータです。
用語解説
株式会社エイ・イー・エス(代表取締役社長: 吉田 忠彦)が、小型衛星標準バス技術の実証と先進的なミッション/要素技術の軌道上実証機会の提供を目的として開発した50kg級、サイズ50cm角の超小型衛星。SOCRATESはSpace Optical Communications Research Advanced TEchnology Satelliteの略。3軸姿勢制御やGPS受信機による軌道位置決定機能を有する。さらに、NICTが開発した小型光通信機器(SOTA)を搭載している。
2014年5月24日にH-ⅡAロケット24号機の相乗り副衛星として打ち上げられた。打上げ後、高度600kmの太陽同期軌道に無事投入され、衛星バスの基本機能確認試験を完了し、通信ミッションへ順調に移行した。衛星の運用は2016年11月に終了した。
量子力学によれば、光は“波”の性質と“粒子”の性質を併せ持っている。光の粒子は「光子」と呼ばれ、これ以上分割することのできない光のエネルギーの最小単位である。例えば、光通信で通常用いられる1.5ミクロンの波長では、1光子のエネルギーは約1000京分の1(1京は1の後に0が16個ついた単位)ジュールという極めて小さな値になる。単一光子とは、パルス内に光子が一個しかない状態のことをいう。
NICTが開発した衛星搭載用の超小型光通信機器で、望遠鏡直径は約5cm、質量は約6kg、サイズは縦17.8cm、横11.4cm、高さ26.8cmである(右図の写真)。SOTAはSmall Optical TrAnsponderの略。超小型衛星SOCRATESに搭載されている。地上の光ファイバ網と同じ1.5ミクロンの波長の光を用いた光通信実験を低軌道衛星と地上間で行い、将来の宇宙光通信技術開発に必要な基礎的な知見を得るとともに、量子通信技術について軌道上実証を行うために開発された。2014年8月以降、1.5ミクロン波長帯や0.98ミクロン波長帯での光通信や0.8ミクロン波長帯での量子通信の実証実験が行われてきた。
2個以上の量子(光子や電子のような粒子)が、古典力学的には考えられない特殊な相関をもって結びついている状態のことを量子もつれ状態と呼び、代表的な量子力学的現象の一つである。この量子もつれ状態を構成する量子のうち、ある1つについての情報が測定によって確定すると、それに伴って別の粒子についての情報も確定する。量子もつれ配信とは、遠隔2地点間に量子もつれ状態を送信し、2地点間に量子もつれ状態を形成する操作を指す。
量子暗号は、右図に示すように、「量子鍵配送」による秘密鍵の共有と、それを用いた「ワンタイムパッド暗号化」から構成される。
量子鍵配送では、送信者が光子を変調(情報を付加)して伝送し、受信者は届いた光子一個一個の状態を検出し、盗聴の可能性のあるビットを排除(いわゆる鍵蒸留)して、絶対安全な秘密鍵(暗号化のための乱数列)を送受信者間で共有する。変調を施された光子レベルの信号は、測定操作をすると必ずその痕跡が残る(ハイゼンベルクの不確定性原理)ため、この原理を利用して盗聴を見破る。
本件に関する問い合わせ先
・量子通信関連について
未来ICT研究所
佐々木 雅英
Tel: 042-327-6524
E-mail:
・衛星関連について
ワイヤレスネットワーク総合研究センター
宇宙通信研究室
豊嶋 守生
Tel: 042-327-5825
E-mail:
広報
広報部 報道室
廣田 幸子
Tel: 042-327-6923
Fax: 042-327-7587
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