国立研究開発法人情報通信研究機構
2017年3月23日
ポイント
- 最新のMRI技術を用い、視覚情報を伝える脳の線維束がサルとヒトで類似していることを発見
- 136年前に2次元のスケッチで報告された線維束の全体形状を3次元のMRIデータを用いて解明
- サルとヒトの線維束の類似性により、ヒトの認知機能や病気の解明にも期待
NICT脳情報通信融合研究センター(CiNet)では、脳に学ぶ新たな情報通信技術の確立を目指し、脳科学と情報通信技術とを融合した研究開発を推進しています。今回、CiNetの竹村浩昌特別研究員(JSPS特別研究員)をはじめとする研究グループは、米国、ドイツの研究機関の協力で計測されたサルの脳を対象としたMRIデータを用いて、視覚情報処理に関わる線維束を調べる研究を行いました。サルとヒトの脳を対象としたMRIデータを比べた結果、サルとヒトのVertical Occipital Fasciculus(VOF)の間に類似性のあることが明らかになりました。また、136年前の研究で報告されながらも、長きにわたり解明されていなかったVOFと呼ばれる線維束を再発見しました。
今回の発見は、ヒトを対象としたMRIによる研究とサルを対象とした研究を結び付けるものであり、ヒトの脳の中で視覚情報が伝わる仕組み及びVOFが関わる認知機能や病気の解明にも期待が持てます。
なお、この成果は、神経科学の国際科学誌「Cerebral Cortex」(電子版: 日本時間 2017年3月23日)に掲載されます。
背景
ヒトの脳の中には多くの視覚の情報処理に関わる場所があり、これらの場所同士が適切に情報をやり取りすることで、日常生活を支える視覚情報処理がなされていると考えられています。この情報のやり取りを支えているのが脳の場所同士を結ぶ線維束です。線維束が病気などで障害を受け、情報のやり取りが止まると、生活にも影響が出ることが分かっています。このため、脳の視覚処理に関する線維束について研究することは、私たちの日常生活と脳の関係を理解し、脳の病気が生活に与える影響を明らかにするために重要です。
サルの視覚はヒトに近いと考えられており、脳の視覚処理に関する研究では、サルを対象として様々な計測方法で線維束を調べる研究が盛んに行われてきました。しかし、近年では、拡散強調MRIという方法で計測されたMRI画像を解析することで、ヒトの脳からも線維束の位置や形を測ることができるようになってきました。
しかし、サルを対象とした計測方法では得られるデータの特徴や解像度が大きく異なるため、サルとヒトの研究結果の知見を統一的に見ることができないという課題がありました。このため、視覚の情報伝達に関わるサルとヒトの線維束が果たしてどのぐらい似ているのか、サルの結果からどの程度ヒトの脳のことが分かるのかという重要な問題も、計測方法の違いから十分に明らかになっていませんでした。
今回の成果
今回、竹村浩昌特別研究員と、米国、ドイツ、ベルギーのグループは共同で、サルの脳を対象とした拡散強調MRIの計測を行いました。サルの視覚情報処理に関わる線維束の位置や3次元の全体形状を計測し、サルとヒトの研究の間に横たわるギャップを埋めることができるのではないかという点に注目し、サルの脳を対象にして取得された高解像度の拡散強調MRIデータを解析し、ヒトの拡散強調MRIデータの解析結果と比較しました。
図1に視覚情報処理に関わる主なサルとヒトの線維束を示します。前頭葉と視覚処理に関わる場所を結ぶ線維束(図1右図点線部参照)を除き、ヒトと共通する線維束がサルの脳にも見られ、サルの脳は、視覚情報の処理に関わる線維束に関しては、ヒトの脳とある程度似ているという結果が得られました。
今回、これまでの研究で長きにわたり報告されてこなかったサルの視覚野の上側(背側)と下側(腹側)を結ぶ線維束を拡散強調MRIデータから見つけました(補足資料 図2参照)。ヒトの脳では、近年の研究でVOFと呼ばれる線維束が視覚野の上側(背側)と下側(腹側)を結ぶことが知られてきました。サルの脳では1881年にドイツのCarl Wernickeが2次元のスケッチ(補足資料 図2右参照)によって報告していましたが、2次元のスケッチからではこの線維束の3次元の形状を詳しく知ることができませんでした。また、当時の研究手法では、このスケッチを正確に再現することが困難であったため、それ以降、136年もの長い間ほとんど研究がなされませんでした。今回サルで見つかった線維束の位置は、1881年のWernickeによる記述と非常に良く類似しており、136年の時を経て、最新のMRI計測により、Wernickeのスケッチを初めて再現することができました(補足資料 図2参照)。
さらに、サルとヒトのVOFの終点の近くにある脳領域を比べた結果、サルとヒトの両方でV3A野やV4野といった類似した領域がVOFの終点に近いということがわかりました。このことにより、今回再発見したサルの線維束がヒトのVOFと相同する線維束であることが明らかになりました。
今後の展望
ヒトを対象とした近年の研究では、VOFが視覚認知機能の個人差や弱視などと関わっている可能性が指摘され始めています。136年ぶりにMRIを用いた計測によってサルのVOFを再発見し、ヒトのVOFとの類似性を明らかにしたことで、サルとヒトの両方を対象とした脳計測研究で、VOFと脳の情報処理の関わりを調べることができる可能性が開けました。
今後、サルとヒトを対象とした両方の計測法の利点を生かして、VOFと脳の病気の関わりや、VOFの組織の健康状態と視覚認知機能の関係をより詳しく調べていくことが期待できます。
掲載誌:Cerebral Cortex オンライン版
DOI:10.1093/cercor/bhx070
掲載論文名:Occipital white matter tracts in human and macaque.
著者名:Hiromasa Takemura, Franco Pestilli, Kevin S. Weiner, Georgios A. Keliris, Sofia M. Landi, Julia Sliwa, Frank Q. Ye, Michael A. Barnett, David A. Leopold, Winrich A. Freiwald, Nikos K. Logothetis & Brian A. Wandell
共同研究グループ
- 国立研究開発法人情報通信研究機構 竹村 浩昌 特別研究員
- スタンフォード大学(米国) Brian A. Wandell教授, Kevin S. Weiner 研究員, Michael A. Barnett マネージャー
- インディアナ大学(米国) Franco Pestilli 准教授
- アントワープ大学(ベルギー) Georgios A. Keliris 准教授
- ロックフェラー大学(米国) Winrich A. Freiwald 准教授, Sofia A. Landi 研究員, Julia Sliwa 研究員
- アメリカ国立衛生研究所(米国) David A. Leopold 主任研究員, Frank Q. Ye 専門職研究員
- マックスプランク研究所(ドイツ) Nikos K. Logothetis ディレクター
補足資料
今回、拡散強調MRIデータ(左図)によって、今までほとんど研究例のないサルのVertical Occipital Fasciculusが再発見された。
左図は、拡散強調MRIデータの断面であり、色がそれぞれのデータ点における線維束の向きを表す(青: 上-下, 緑: 前-後, 赤: 右-左)。今回発見されたVOFの位置を黄色の点線で示す。VOFは視覚野の上側(背側)と下側(腹側)を結ぶ線維束であり、拡散強調MRIデータの青色と対応している。
右図は、Carl Wernickeが1881年の著作で示したサルの線維束のスケッチである。Wernickeは、VOFに相当する線維束が青色の点線で示す位置に存在すると報告している。MRIデータ、Wernickeのスケッチの両方で、VOFは同じ脳の溝(上側頭溝、下後頭溝)の間に位置しており、両者の間でVOFの位置が驚くほど一致していることがわかる。今回、最新の拡散強調MRI計測によって、136年もの年月の間忘れられていた線維束の位置を再発見し、Wernickeのスケッチを再現することができた。
引用文献
Wernicke C (1881) Lehrbuch der Gehirnkrankheiten für Aerzteund Studirende. Kassel Theodor Fischer.
用語解説
ヒトの脳の中で、軸索と呼ばれる神経細胞同士を結ぶケーブルが集まって束になっている構造のことを指す。サルやヒトなど大型の脳を持つ生物では、線維束から構成される「白質」と呼ばれる領域が特に発達している。視覚情報の処理に関わる線維束としては、視放線、下縦束、VOFなどの線維束が知られている。
ヒトの脳の後頭葉にある線維束。後頭葉視覚野の上側(背側)と下側(腹側)を連絡している。背側視覚野、腹側視覚野は、それぞれ空間情報処理、物体認識と関わっていると考えられ、VOFは、これらの情報を合わせることで、日常生活における視覚処理を支えていると考えられる。
VOFの存在自体は、19世紀後半の死後脳研究で知られてはいたが、2013年に拡散強調MRIを用いたヒトの脳の研究で再発見されて以降、急速に注目を浴びるに至る。最近の研究では、VOFが視覚認知機能の個人差や弱視などとの関係を示唆する説が出ている。
生きているヒトの脳から線維束の向きや位置を見つけるときに使われる実験方法。MRI装置を使って、脳を傷つけることなく計測することができる。
拡散強調MRIでは、脳の中にある水の分子の動きに関する情報を測ることができる。線維束の中では、水の分子は線維束と平行な方向に動きやすいことが分かっている。このため、拡散強調MRIを使って水の分子が動く方向を測ることができれば、線維束の向きについて知ることができる。
ドイツの神経科学者。19世紀後半に行われた脳の線維束の研究の先駆者であり、また、脳の障害と失語症などの関係を対象とした研究で広く知られる。その業績から、現在でもヒトの脳の言葉の理解に関わる場所のことを「ウェルニッケ野」と呼ぶ。
視覚情報処理に関わる脳の領域。V3A野は後頭葉の上側(背側)、V4野は下側(腹側)に位置する。
ヒトを対象とした脳機能計測研究では、V3A野が動きや奥行きに関する視覚情報処理に関わり、V4野は色や形に関わる視覚情報処理に関わるという結果が得られている。
本件に関する問い合わせ先
脳情報通信融合研究センター
脳情報通信融合研究室
脳情報通信融合研究室
竹村 浩昌
Tel: 080-9098-3285
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広報
広報部 報道室
廣田 幸子
Tel: 042-327-6923
Fax: 042-327-7587
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