国立研究開発法人情報通信研究機構
2017年3月9日
ポイント
- 地デジ放送波の伝搬遅延を高精度に計測し、水蒸気量を推定する技術を開発
- ソフトウェア無線を用いて小型で安価なリアルタイム測定装置を開発
- ゲリラ豪雨などの局所的な気象現象の予測精度向上に寄与すると期待
NICT電磁波研究所は、地上デジタル放送の電波(地デジ放送波)を使った水蒸気量推定手法の開発に成功しました。
リモートセンシング研究室 川村誠治主任研究員らの研究チームは、地デジ放送波の伝搬時間の変化を高精度(ピコ秒精度; 10-12秒)に測定することで、水蒸気量を推定する手法を提案し、ソフトウェア無線の技術を使って開発した測定装置を用いて、水蒸気量推定に成功しました。この水蒸気量推定の観測値を天気予報の数値予報モデルに取り入れて解析を進めることで、ゲリラ豪雨など都市部の局所的な気象現象の予測精度向上に寄与できると期待されます。今後は、関東地域を中心に実利用に向けての実証実験を進めていく予定です。
この成果は、米国の専門誌「Radio Science」に、日本時間3月8日(水)23時に掲載されました(論文誌エディターによるハイライト論文にも選出)。
背景
NICTでは、ゲリラ豪雨など局所的で激しい気象現象に対する防災・減災を目指し、フェーズドアレイ気象レーダなど雨を観測する技術の研究開発を進めています。一方、雨の元である水蒸気(レーダでは見えない水)は、気象予報にとって非常に重要ですが、広い範囲にわたって効果的に観測する手法が限られているのが現状でした。
今回の成果
電波は、大気中の水蒸気量によって伝わる速度が変化するため、その変化量を精密に測定することで、水蒸気量を知ることができます。今回、地デジ放送波の遅延プロファイルの位相から電波の伝搬遅延を求める手法を開発しました。
測定される位相には放送局や受信側の局部発振器の位相雑音も含まれますが、これらの影響を相殺する手法を考案し、高精度の伝搬遅延測定に成功しました。
ソフトウェア無線の技術を用いて、小型で安価なリアルタイム測定装置を開発しました(図1参照)。さらに、実観測において、地上気象観測結果と整合し、かつ、より細かい変動をとらえた水蒸気量観測結果を得ることができました。このシステムは、地デジ放送波を受信するだけで計測が可能であり、新たな送信機などは不要です。しかも、時間分解能が高く、実利用でも1秒~30秒程度ごとに水蒸気量を観測することが可能です。
従来使われているGPS/GNSS可降水量やマイクロ波放射計などを利用した水蒸気量観測は、いずれも鉛直方向に水蒸気を観測するものですが、今回開発した手法は、最も水蒸気の多い地表付近を水平方向に観測するため、鉛直方向の観測を補って気象予報の精度向上に寄与することが期待されます。
本研究成果は、NICT電磁波研究所のリモートセンシング研究室のレーダ技術、電磁環境研究室の放送技術及び時空標準研究室の周波数同期技術など、研究分野の異なる技術を連携させることによって実現しました。
今後の展望
今後は、本手法の精度検証や気象予報の精度向上への寄与度合いの調査などを進めていきます。
今回開発したシステムは、現在研究開発を実施中の「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)・レジリエントな防災・減災機能の強化」の研究課題において関東域に多地点展開され、今後2年間にわたって実証実験が行われる計画です。
掲載誌:Radio Science
DOI:10.1002/2016RS006191
論文名:Water vapor estimation using digital terrestrial broadcasting waves
著者:川村誠治, 太田弘毅, 花土弘, 山本真之, 志賀信泰, 木戸耕太, 安田哲, 後藤忠広, 市川隆一, 雨谷純, 今村國康, 藤枝美穂, 岩井宏徳, 杉谷茂夫, 井口俊夫
情報通信研究機構
補足資料
水蒸気測定の原理
電波は真空中では光速で伝搬しますが、大気中では水蒸気の量によって速度が変化します。そのため、2地点間の伝搬遅延を測定することで、水蒸気量を推定することができます(図2参照)。例えば、距離5 kmの伝搬において、水蒸気が1 %増えると、電波の到着は約17 ピコ秒(17×10-12秒)遅れます。これは、光が約5 mm進む時間に相当します。このようなわずかな電波の遅れを電波の位相の変化を用いて測定し、水蒸気量を推定します。
この原理は、GPS/GNSS可降水量の計測と同じですが、GPS/GNSSの電波が宇宙空間にある人工衛星からの鉛直伝搬であるのに対し、今回開発した手法は、地デジ放送波の水平伝搬を用いる点が異なります。本手法では、ゲリラ豪雨など局所的な気象現象に影響が大きいといわれる地表付近の水蒸気量を計測することが可能です。
今回開発した手法
地デジ放送波の遅延プロファイルの位相から伝搬遅延を測定します。遅延プロファイルを用いることで、複数の反射波等が存在するマルチパス環境においても、それぞれの電波を区別して所望の電波の位相を測定することができます。
測定される位相には、放送局や受信側の局部発振器の位相雑音も含まれます。位相雑音を相殺するために図3に示す2通りの手法を考案しました。2地点観測の手法では、2地点で同じ測定を行い、測定結果の差を取ることで放送局の局部発振器の位相雑音を相殺し、受信側の影響は、2地点の局部発振器を同期することで相殺します。反射波を使う手法では、電波塔から直接到達する電波と後方からの反射波を同時に受信し、差を取ることで位相雑音を相殺します。今回の実観測では、反射波を用いた手法によって水蒸気量推定の実証を行いました。
測定結果の例
観測実験は、NICT本部(東京都小金井市)にて行いました(配置は図4参照)。
東京スカイツリーから直接到来する電波と、後方の3つの反射体からの反射波を同時にNICTで受信し、3つのエリアの水蒸気量を推定しました。その結果の一例を図5に示します。図5は、2016年3月16日~21日にかけての観測例です。上から伝搬遅延、湿度、水蒸気量を表しており、各線の色が図4のエリア1~3の色に対応しています。黒線と紫線は地上気象観測から得られた測定値で、地デジ放送波による観測結果がこれらと良く一致し、かつ、より細かい時間変動をとらえていることが分かります。観測の時間分解能は原理的には4.5ミリ秒と高く、実用上も1秒~30秒程度ごとの観測が可能です。観測精度は、少なくとも伝搬遅延に起因する誤差が湿度にして約5%程度存在する可能性があると見積もっており、今後更なる検討が必要です。
用語解説
制御や信号処理の大部分をソフトウェアで行う無線通信技術。ハードウェアの変更なしに様々な無線通信方式に対応することができ、安価で汎用性が高い。
現在の天気予報は、計算機上の数値計算によって行われている。空間を格子上に区切り、物理過程を考慮した計算によって、各格子点上の大気の状態(気温、湿度、気圧、風など)の変化を予測していく。この手法を数値予報といい、用いられるプログラムを数値予報モデルと呼ぶ。
NICTが大阪大学、東芝と協力して開発した新方式の気象レーダ。半径60 km、高さ10 kmの範囲の雨雲を30秒間隔で高速3次元観測できる。
本レーダは、多数のアンテナ素子を1次元に配列して電子的にアンテナビーム方向を変えることができる1次元フェーズドアレイ方式で、仰角方向に電子スキャンを行い、方位角方向にはアンテナを機械回転させている。単偏波で、周波数帯はXバンド(9GHz帯)。
2012年5月に大阪大学吹田キャンパスに設置されたほか、2014年3月にNICT未来ICT研究所(神戸市西区岩岡町)とNICT沖縄電磁波技術センター(国頭郡恩納村)にも設置して、観測実験を行っている。これらの観測データは、http://pawr.nict.go.jp/にて過去データを含めて公開している。
電波の受信電力を伝搬遅延時間の関数で表したもの。地デジ放送波の場合、埋め込まれた既知の信号(SP信号)から計算される。
本件に関する問い合わせ先
電磁波研究所
リモートセンシング研究室
リモートセンシング研究室
川村 誠治
Tel: 042-327-5829
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広報
広報部 報道室
廣田 幸子
Tel: 042-327-6923
Fax: 042-327-7587
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