独立行政法人 情報通信研究機構
2014年11月11日
ポイント
- 他者の動作を予測する場合と自分が同じ動作を行う場合に共通した脳内プロセスが関与
- 他者の動作を予測できるように学習すると、共通した脳内プロセスが変化し自分の動作に影響
- 他者動作の予測能力と自己運動能力の向上を導くリハビリやトレーニング方法の開発に応用可能
NICT 脳情報通信融合研究センターは、フランス国立科学研究センターと共同で、他者の動作を予測することと、自分の動作を行うことには共通した脳内プロセスが関与していることを明らかにしました。この共通した脳内プロセスが存在するために、他者の動作に対する予測能力が変化すると、自分自身の動作も変化することが分かりました。今回我々が行った実験で、ダーツのエキスパートが、素人のダーツ動作を繰り返し見て、その動作結果(ダーツの命中場所)を予測できるようになると、エキスパート自身のダーツ成績が悪くなるという興味深い現象を見出すことができました。本成果は、他者動作の予測と自己の運動の相互作用を生かしたリハビリテーション法や認知・運動トレーニング法の開発につながると考えられます。なお、この成果は、Nature系の国際科学誌「Scientific Reports」(電子版: 英国時間 2014年11月11日10:00)に掲載されます。
背景
脳がどのようにして他者の動作を理解し、予測しているかについては、今まで、ほとんど解明されていません。これまでに、「他者の動作を予測する場合には、自分が同じ動作を行う場合と同じ共通した脳内プロセスが使われる」という有力な仮説が提唱されてきました。この仮説によると、他者の動作に対する予測能力が学習によって変わると、その共通した脳内プロセスが変化するために、一見無関係と思われる自分自身の動作まで変わることが予測されます(補足資料参照)。我々は、このようなことが本当に起こるのかどうかを検証するために、ダーツのエキスパートを対象にした行動実験を行いました。
今回の成果
我々は、他者動作を予測する場合に関与する脳内プロセスの変化が、自分の動作を行う場合に関与する脳内プロセスに影響を与えるかどうかを解明するために、ダーツのエキスパートが素人のダーツ結果を予測する予測課題(図1左参照)とエキスパートがダーツボードの中心を狙ってダーツを投げる運動課題(図1右参照)を行いました。そして、エキスパートの(素人のダーツ動作に対する)予測能力が変化する場合と変化しない場合で、エキスパート自身のダーツパフォーマンスにどのような影響が出るかを調べました(実験の詳細は補足資料参照)。
その結果、エキスパートは、素人の動作を繰り返し観察することによって、ダーツの命中場所を予測できるようになりました。これは、他者動作の予測に関わるエキスパートの脳内プロセスに変化が生じたことを意味しています。そして、驚くべきことに、予測能力向上後は、エキスパートのダーツパフォーマンスが悪化するという結果が得られました(図2 実験1参照)。一方、同じ素人の動作を観察したとしても、その動作に対する予測能力が向上しない場合は、エキスパートのダーツパフォーマンスには変化は見られませんでした(図2 実験2参照)。
今回の実験により、我々は、他者動作の予測能力と自己の運動能力の変化の間の因果関係を初めて明らかにし、両者には共通した脳内プロセスが関与しているという仮説を支持する行動学的証拠を示しました。
我々は、社会生活において、他者の動作をただぼうっと見ているわけではありません。他者の行為の目的や意図を読み取り、その動作結果を予測することで、いち早く自分の行為を選択しています。予測がずれた場合は直ちに修正し、他者に対する理解を深めていきます。この他者理解のプロセスが我々の社会生活を円滑にしてくれる一方で、今回の実験結果は、我々の運動能力が、知らず知らずのうちに、他者の動作から影響を受けていることを示しています。
また、下手な人の運動を見ることによって自分の運動が下手になるという結果は、スポーツやリハビリテーション分野に対して実践的な示唆を与えます。プロ野球選手のイチロー選手は以前、「自分のバッティングに影響するため、下手な人のバッティングは見たくない」と発言しましたが(2007年6月19日(火)夕刊フジ 参照)、イチロー選手は以前からこのことに気付いていたのかもしれません。
今後の展望
今後、我々は、他者動作に対する予測能力を改善させることによって自分の運動を改善させる、あるいはその逆の改善的変化を誘導するような、他者動作の予測と自己運動の間の相互作用を生かしたリハビリテーション法や認知・運動トレーニング法の開発を目指しています。
掲 載 誌: Scientific Reports (Nature Publishing Group), DOI: 10.1038/srep06989
掲載論文名: Watching novice action degrades expert motor performance: Causation between action production and outcome prediction of observed actions by humans.
著 者 名: Ikegami T, Ganesh G
補足資料
仮説の検証方法
本研究では、「他者の動作を予測する場合には、自分が同じ動作を行う場合と同じ共通した脳内プロセスが使われる」という仮説を検証しました。この仮説を検証するために、他者動作に対する予測能力が学習によって変わった場合に、自分の動作に影響が出るかどうかを調べました。
もし、仮説どおり、共通した脳内プロセスが存在する場合(図3上参照)、学習によって変化した他者動作の予測に関与する脳内プロセスは、自分の運動を行う場合にも関与します。よって、自分の運動にも影響が現れると予測されます。
一方、両者には異なるプロセスが関与している場合(図3下参照)、仮に、他者動作の予測に関与する脳内プロセスが変化したとしても、自分の運動を行う場合に関与する脳内プロセスとは無関係です。よって、自分の運動は変化しないと予測されます。
今回の実験の詳細
今回我々は、ダーツのエキスパートが素人のダーツ結果を予測する予測課題(図1左参照)とエキスパートがダーツボードの中心を狙ってダーツを投げる運動課題(図1右参照)を行いました。そして、エキスパートの(素人のダーツ動作に対する)予測能力が変化する場合(実験1)と変化しない場合(実験2)で、エキスパート自身のダーツパフォーマンスにどのような影響が出るかを調べました。予測課題は、各実験で以下のように行いました。
実験1: エキスパートに、素人がダーツを投げているビデオ(ダーツ軌道とダーツボードが見えないように撮影)を見てもらう。ダーツがどこに命中したかを予測し、11区画に分割されたダーツボード(図1左参照)を使って答えてもらう。素人が中心を狙ってダーツを投げているというヒントを与え、回答後には、毎回答え合わせをする。
実験2: エキスパートに、実験1と同じビデオを用いた予測課題を行ってもらう。今回は、素人が中心を狙ってダーツを投げているというヒントを与えず、さらに、毎回の答え合わせもしない。
その結果、実験1の予測課題では、エキスパートは、最初は、正確に予測することはできませんでしたが、徐々に、素人の動作を観察するだけで、ダーツの命中場所を予測できるようになりました(図2 実験1参照)。これは、予測課題の学習を通じて、他者動作の予測に関わるエキスパートの脳内プロセスに変化が生じたことを意味しています。もし、この脳内プロセスが、自分が運動を行う場合にも関与していれば、このエキスパートの運動にもその影響が現れると予測されます(図3上参照)。
実際に、この予測課題の前後にエキスパートに運動課題を行ってもらうと、驚くべきことに、予測能力向上後は、予測能力向上前に比べて、エキスパートのダーツパフォーマンスが悪化するという結果が得られました(図2 実験1参照)。
一方、実験2では、エキスパートの予測能力はほとんど向上せず、この予測課題の前後におけるダーツパフォーマンスにも変化は見られませんでした(図2 実験2参照)。
実験1、実験2によって、我々は、他者動作の予測能力の変化が、因果的に自己の運動能力に対して影響を与えることを明らかにしました。これらの結果は、他者動作の予測と自己動作の生成の基盤となる共通した脳内過程の存在を反映していると考えられます。
本件に関する 問い合わせ先
脳情報通信融合研究センター
脳情報通信融合研究室
脳情報通信融合研究室
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