独立行政法人 情報通信研究機構
2014年9月30日
ポイント
- モータータンパク質「ダイニン」が、活動の必要がないときに、その運動活性を自ら抑制する能力を持つことを発見
- 細胞内の輸送ネットワークにおける高次の制御メカニズムの解明への一歩
- 制御メカニズムの解明により、ウイルス感染症などの感染メカニズムへの知見や薬品開発への道にも期待
NICT 未来ICT研究所の鳥澤嵩征研究員、古田健也主任研究員と、東京大学大学院 総合文化研究科の豊島陽子教授らの研究グループは、ヒトの細胞の中の主要な物質輸送を担っているモータータンパク質であるダイニンが、活動の必要がないときに、その運動活性を自ら抑制(不活性化)する能力を持つことを発見しました。細胞の中で何重にもわたる厳密な制御を受けているダイニンにとって、最も基本となる運動制御のメカニズムを明らかにしたことで、細胞内の輸送ネットワークにおける高次の制御メカニズムの解明や、ダイニンが担うとされているウイルス感染症に対抗する薬品開発につながることが期待されます。
この成果は、2014年9月28日(英国時間) 発行のNature Cell Biologyオンライン速報版に発表されました。
背景
私たちの生活において、物流システムは欠かすことができないインフラです。このようなシステムは、適切な場所、適切な時間に、適切な物品を輸送するために、厳密に制御されており、その制御のほとんどは中央集中型です。同様に、ヒトの体を作り上げている細胞の中の世界においても、物流は細胞の生命維持のために必須なシステムです。細胞の中の物流は、細胞内輸送と呼ばれ、その主役は、モータータンパク質と呼ばれるタンパク質です。私たちの持つ物流システムと同様に、細胞内の物質が正しく輸送されるように、厳密な制御が行われています。しかし、細胞内の物質輸送は、中央集中型制御ではないことが分かりつつあります。この制御がどのように行われているかを明らかにすることは、生命機能の維持機構の理解のために極めて重要な課題であり、国際的に精力的な研究が行われてきました。この物質輸送を担うモータータンパク質の一つ、ダイニンは、細胞の周辺部分から細胞の中心に向かう「上り」の数多ある物質輸送を一手に引き受けています。ダイニンには幾つかの制御因子が見つかってはいたものの、ダイニンの運動活性がどのように階層的に制御されているのかは明らかになっておらず、そのメカニズムの解明が長らく求められていました。
今回の成果
本研究は、ヒトの細胞質で働くダイニンの発現系を確立し、このダイニンに分子生物学的に改変を加えることで、ダイニン分子が自分自身で運動活性を抑制する自己制御のメカニズムを持つことを明らかにしました。
ダイニンは、リング状のモーター部位を2つ持ち、この2つの部位が、微小管と結合する能力と、エネルギー源であるATP(アデノシン三リン酸)を加水分解して微小管との間で力を発生することで、輸送路である微小管上を「歩く」能力を持っています。
本研究では、ダイニンの2つのモーター部位の距離を人為的に制御をしたり、モーター部位の間に障害物を挿入したダイニンの変異体を作製し、これらの分子の微小管上での運動を単一分子計測技術を駆使して測定しました。
その結果、ダイニンが運動できないときには、この2つのモーター部位が重なるように結合しており、2つのモーター部位がお互いに運動能を抑制していることが分かりました。一方、2つのモーター部位が重ならないように人為的に離した場合には、運動が活性化され、微小管上を安定して動くようになることが分かりました。
このような抑制メカニズムは、モータータンパク質の自己制御としては新たな形態のものであり、ダイニンの制御因子が関係するような、より高次の輸送制御の基礎を与えていると考えられます。
今後の展望
細胞内物質輸送が、中央集中型制御ではなく、局所的、モータータンパク質のレベルからの自律的制御によってコントロールされていることを示唆する本成果は、細胞内の情報処理のメカニズムの理解を大きく進展させるものです。
また、ダイニンは「上り」の輸送において重要な役割を果たしているのみならず、ウイルスの細胞感染において、ウイルスの核への輸送の担い手になってしまうという、ハイジャックと呼ばれる機構の対象となっています。
ダイニンの自己制御の存在が明らかになったことで、ダイニンによる物質輸送ネットワークの制御メカニズムの解明が加速され、生理状態の細胞機能のみならず、感染症における感染メカニズムの解明に知見を与えると期待されます。
補足資料
細胞内輸送
細胞は、タンパク質や脂肪などの物質合成を行う場所と、その生成物を使用する場所とが離れています。生成物を目的地まで運ぶシステム、消費によってできた老廃物を処理場まで運ぶシステムなど、わずか数十マイクロメータほどの直径の細胞の中で、活発な物質輸送が行われています(図1参照)。このような細胞内での活発な物質輸送、例えば、細胞核周辺で合成したタンパク質や細胞小器官を細胞周辺部に輸送をしたり、細胞周辺部で細胞外から取り込んだ物質を細胞の中心に輸送することなどは、細胞の生命維持に必須なシステムです。この輸送を行っているのは、モータータンパク質と呼ばれるタンパク質群です。このタンパク質群には、微小管と呼ばれるタンパク質フィラメントの上を動くキネシンとダイニン、アクチンフィラメントと呼ばれるタンパク質フィラメントの上を運動するミオシンなどが含まれます。微小管は、細胞内で、細胞の中心に位置している核の近くから細胞の周辺に向かって伸びる輸送経路のネットワークを作っています。細胞中心から周辺に向かう「下り」の輸送には主にキネシン、細胞周辺から中心への「上り」の輸送にはダイニンが働いています。この細胞内の物質輸送では、どのような物質が、いつ、どこに運ばれるのかが厳密に制御されている必要があります。私たちの日常生活でお世話になっている物流システムにおける制御のように、細胞内での物質輸送の制御は、厳密にかつ階層的に行われていることが明らかになりつつあります。しかし、上りの輸送を一手に引き受けているダイニンについては、いくつかの制御因子の存在が示されているものの、階層的な制御の最も基礎に当たるモータータンパク質自身の運動活性制御のメカニズムは明らかにされていませんでした。
ヒト細胞質ダイニンの単離
本研究では、ヒト由来の培養細胞(HEK293細胞)に、ヒト細胞質ダイニンの重鎖を発現させて、発現したダイニンを精製しました。細胞質ダイニンは、軽鎖や中間鎖を結合した複雑なタンパク質複合体として精製できました。透過型電子顕微鏡で観察したダイニン分子は、溶液中のヌクレオチドの状態によって2つの分子形態が観察されました。図2は、2つのリング状頭部がぴったりと背中合わせにくっついている分子像と、2つの頭部が離れている分子像です。この2種類の分子形態の間の移り変わりを通して、ダイニンは自らの運動を制御していることが明らかとなりました。
ダイニン分子の微小管上での運動
ヒト培養細胞から精製した細胞質ダイニンの1分子の微小管上での運動を光学顕微鏡で観察したところ、微小管上をふらふらと行ったり来たりする拡散的な運動をしているだけで、細胞内で見られる積極的な輸送のような一方向性の運動は観察されませんでした(図3上参照)。一方で、複数の細胞質ダイニンが一つの物質に同時に結合して働くような状況を、DNAオリガミと呼ばれる構造体の上に実験的に構成すると、2分子以上のダイニンが集まるだけで、その他のタンパク質制御因子を加えることなく、細胞内輸送のような一方向性の運動が再現されました(図3下参照)。
結論
本研究で、自己制御というダイニンの最も基本的な活性制御が発見されたことにより、ダイニンの運動活性が階層的に制御されていることが明らかになりました。一つの分子の中で2つのモーター部位をくっつけることで自らの運動活性を抑制するメカニズムは、モータータンパク質の自己制御としては新たな形態のものであり、ダイニンに対する制御因子が係るような、より高次の輸送制御の基礎を与えていると考えられます。
用語解説
生物の運動の原動力となっているタンパク質。ATP(アデノシン三リン酸)を加水分解したときに得られるエネルギーを使って、微小管やアクチンフィラメントなどの輸送路となるタンパク質フィラメントの上を運動することができる。代表的なモータータンパク質は、筋肉の収縮の原動力であるミオシン、細胞内の物質輸送に関わるキネシン、物質輸送と繊毛・鞭毛の運動を作り出すダイニンがある。
2つのリング状の頭部を持つ細胞質で働くモータータンパク質の一種。このリング状の頭部には、微小管に結合するストークと呼ばれる突起が付いている。微小管と結合するストークとATPを加水分解する活性部位を含むこの頭部全体をモーター部位と呼び、2つのモーター部位を束ねている部分を尾部と呼ぶ。この尾部が細胞内の輸送物質に結合する。今回の成果では、このリングが背中合わせになって貼り付いてしまうことで、モーター活性が抑制されることが明らかになった。
細胞がその生命機能を維持するために行っている物質輸送。この輸送を行っているのはモータータンパク質で、微小管の上を動くキネシンとダイニン、あるいは、アクチンフィラメントの上を運動するミオシンなどが含まれる。微小管上では、細胞中心から周辺に向かう「下り」の輸送には主にキネシン、細胞周辺から中心への「上り」の輸送にはダイニンが働いている。下り輸送のキネシンがその荷物に応じて多くの種類のキネシンファミリータンパク質を用意しているのに対し、上り輸送のダイニンは、わずか1種類のタンパク質がほとんどの輸送を担っているため、ダイニンが働かなくなると、細胞は生きていくことができない。
全反射蛍光顕微鏡や光ピンセット、電子顕微鏡などの装置を用いて、タンパク質一分子による運動、力発生、形態を計測する技術。全反射蛍光顕微鏡は、照明光としてガラス面近傍に染み出す近接場光を用いることで背景光を抑え、蛍光一分子を可視化することができる光学顕微鏡である。これにより、モータータンパク質一分子の運動を追跡することができる。光ピンセットは、マイクロメータオーダーの微小な物体を光によって捕らえ、試料中でマニピュレートする機能を備えた光学顕微鏡である。開口数の大きな対物レンズにより、レーザをサンプル内に集光することで光ピンセットを形成する。捕捉された物体は、力を測定するためのプローブとなる。
掲載論文
掲載誌: Nature Cell Biology, DOI: 10.1038/ncb3048
URL: http://www.nature.com/ncb/journal/vaop/ncurrent/full/ncb3048.html
掲載論文名: Autoinhibition and cooperative activation mechanisms of cytoplasmic dyneinURL: http://www.nature.com/ncb/journal/vaop/ncurrent/full/ncb3048.html
著者名:Takayuki Torisawa, Muneyoshi Ichikawa, Akane Furuta, Kei Saito, Kazuhiro Oiwa, Hiroaki Kojima, Yoko Y. Toyoshima, and Ken’ya Furuta
本件に関する問い合わせ先
未来ICT研究所 バイオICT研究室
古田 健也
Tel:078-969-2214
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広報
広報部 報道担当
廣田 幸子
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