本研究では、テラヘルツ光と呼ばれる光の周波数が1 THz(テラヘルツ)程度の遠赤外線のパルス光(パルス幅~1兆分の1秒(1 ピコ秒))を用いて、電気分極の集団応答による準粒子を捉えることに成功しました。本研究で使用した物質は、有機パイ電子系の誘電体κ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3(図1)です。テラヘルツ時間領域分光(図2)によって測定された光学伝導度スペクトル(図3(a)中の赤丸印、拡大図は、図3(b))は、1THz付近に特徴的なピークを持ちます。このピークは、これまでに電気的な測定によって得られた電気分極の温度依存性や、理論的に予測される準粒子の光電場の振動方向に対する依存性との一致から、図3(c)に示すように電気分極の集団が、波として一糸乱れずに伝わっていく新しい準粒子によるものであることがわかりました。通常この周波数領域にみられるのはフォノンによるピークですが、それに比べるとはるかに幅が広く、しかも中央部に、フォノンとの量子力学的な相互作用(干渉効果)を示す大きな窪みが見られます。
本研究では、さらに、この新たに見つかった準粒子が、近赤外光の照射によって増殖することを発見しました。このことは、以下に示すように、電気分極が、近赤外光の照射によって秩序化することを意味します。図3(d)に示すように、温度を下げると、電気分極の準粒子によるテラヘルツ応答の強度は増大し、低温で準粒子が増殖する、すなわち電気分極が秩序化している領域が大きくなり電気分極集団のドメインとして成長することを示しています。その模式図を図4(a)に示します。注目すべきことに、近赤外のフェムト秒パルス光をこの物質に照射した場合でも、準粒子によるテラヘルツ応答は増大することがわかりました。つまり、光の照射によって電気分極の集団が実効的に冷却され、図4(b)のように、温度を下げた場合と同様にこのドメインが成長するわけです。
光の照射によって物質の電子の秩序が変化する現象は、光誘起相転移と呼ばれ、将来の超高速光スイッチ応用などへの期待から精力的な研究が世界中で行われています。通常、光の照射は電子の有効温度を上昇させるため、秩序を融解させます。しかし、本研究で観測された準粒子の光増殖は、逆に光照射によって電子を冷却し、秩序を成長させることが可能であることを示しました。
このような特異な現象は、κ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3の電子が、柔らかくフレキシブルな性質を持っていることに由来します。理論的な解析により、このκ-(BEDT-TTF)2Cu2(CN)3は、二つの異なる秩序状態が接する境界付近にあるため、電子が柔らかな状態にあることがわかってきました。この電子のフレキシブルな性質が、テラヘルツ光やフェムト秒光パルス光の刺激で増強され、電気分極集団の波(準粒子)としての振る舞いや秩序の増大などのこれまで知られていなかった光応答を導いていると考えられます。