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Na Young Kim, Eisuke Abe, Sebastian Maier, Christian Schneider, Martin Kamp,
Sven Höfling, Robert H. Hadfield, Alfred Forchel, M. M. Fejer & Yoshihisa Yamamoto
情報・システム研究機構 国立情報学研究所(以下 NII、所長 坂内正夫)の山本喜久教授とその研究チームは、独立行政法人情報通信研究機構(理事長 宮原秀夫)から委託を受けた研究課題である「量子もつれ中継技術の研究開発」において、半導体量子ドット中の単一電子スピンと通信波長帯の単一光子の間の量子もつれ状態の生成に成功しました。
量子中継技術は、長距離の量子暗号やより高度な量子通信網の実現に向けて不可欠な技術です。今回の成果は、高速動作が可能な半導体素子と長距離伝送が可能な光ファイバ通信路からなる量子中継システムの実現へ道を拓くものです。
量子暗号をはじめとする量子通信技術は、量子コンピューターに代表される高性能コンピューターが将来開発されたとしても、絶対に盗聴されることのない安全な、また高度な機能を持った通信方式として期待されています。しかし、現状の量子暗号通信の伝送距離は、光ファイバにおける光損失のために100 km程度に限られています。このため、日本全体、さらには地球全体をカバーする量子通信網を実現するためには、量子中継と呼ばれる技術を開発することが不可欠です。
量子中継システムは、各ノード(中継点)に配置された量子メモリと、ノード間を繋ぐ光伝送路によって構成されます。各量子メモリの持つスピン情報は、光伝送路を走る光子によって運ばれますが、その際、スピンと光子の間に「量子もつれ」が形成されていることが、量子中継システムの実現に向けて必須となります。
また、たとえ短距離通信であっても、電子投票や電子商取引・入札などにおいては、認証や多者(マルチパーティ)間通信といった、より複雑な手続きが求められます。例えば、投票においては、まず投票権の確認(認証)が必要であり、第三者による投票結果の改ざんを不可能にしなければなりません。さらに投票結果は、投票者自身にとっても改変不可能でなければなりません。商取引・入札においても、正しい相手と取引をしているか事前に確認できなければいけませんし、取引相手が複数のこともあります。こうした局面では、量子もつれ対をあらかじめ量子メモリに保存しておき、認証が必要なときに使用する、というプロトコルが考えられます。この場合にも、量子もつれを配信するため、スピンと光子の間の量子もつれの生成が必須となります。
この「スピン-光子量子もつれ」は、これまで、捕捉イオンと呼ばれる単一イオンを用いたシステム、中性原子を用いたシステム、ダイヤモンド中の不純物欠陥(NV中心)を用いたシステムなどで実現されていました。しかし、これらのシステムには、①動作速度が遅い、②集積化が困難、③使用する光の波長が低損失光ファイバの最適波長1.5ミクロン付近(通信波長帯)から大きくずれている、といった欠点がありました。そのため、大規模集積化と高速動作が可能な1.5ミクロン帯の光半導体素子を用いた量子中継システムの開発が望まれていました。
NII研究チームは、半導体量子ドット中の電子スピンを量子メモリとして用いる手法に着目し、これまでに、量子ドットからの単一光子の発生(Physical Review Letters誌、2000年)、識別できない同一光子のベル測定(Nature誌、2002年)、量子ドット中の電子スピンの超高速制御(Nature誌、2008年)、電子スピンデコヒーレンスの大幅抑制(Nature Photonics誌、2010年)などの成果を挙げてきました。
今回、NII研究チームは、量子ドットから発生した波長910 nmの単一光子を波長1.56ミクロンの単一光子に波長変換した上で、その光を超高速検出する技術を開発し、その結果、電子スピンと光子の間の量子もつれを生成することに成功しました。忠実度(フィデリティ)と呼ばれる、量子もつれの質を測る性能指数は92%に達し、固体系で実現されたスピン-光子量子もつれで世界最高値を達成しました。また、光子のパルス幅の600ピコ秒は、全系中で最短であり、高速動作を可能とします。
光半導体素子を用いることで、高速動作と集積化が容易になることに加え、波長1.56ミクロンの光子を用いることで、既存の低損失光ファイバ通信網を利用した量子中継システムを実現する道が拓かれたことになります。
今後は、遠隔2地点にある2つの量子ドットからそれぞれ識別できない同一の単一光子を発生させ、それらを同時検出することで、量子メモリ(スピン)間に量子もつれ状態を形成する量子もつれ配信実現へ繋げていく予定です。
今回の実験に用いた半導体量子ドットにおけるエネルギー状態が次ページの図1に示されています。量子ドットに1つだけトラップされた電子スピンを3テスラの直流磁場中に置いて、ゼーマン効果により電子スピンを周波数にしておよそ20 GHzのエネルギー差を持つ上向きスピン状態と下向きスピン状態に分裂させました。これらの電子スピンの状態から波長にしておよそ900 nmだけ高エネルギー側には、電子2個とホール1個からなるトライオンと呼ばれる状態が存在します。光パルス技術を用いることで、このような系に対して、スピンの向きを初期化(上向き)したり、任意の向きに回転させたりといった操作が可能です。
トライオン状態から上向き・下向きのいずれかのスピン状態へ変化する際に、量子ドットからは単一光子が放出されます。図1に示されているように、放出される光子の偏光とスピンの向きには相関関係があることが期待されます。今回の実験の目的は、この相関が、単なる古典相関ではなく、量子相関であることを示すことでした。量子相関を見るためには、スピンの上向き・下向きと光子の直線偏光(水平・垂直、またはH・Vと呼んで区別します)の間の相関だけでなく、スピンの右向き・左向きと光子の円偏光(右回り・左回り、またはσ+・σ-と呼んで区別します)の間の相関も調べる必要があります。このような実証実験を行う上での問題点は、スピンが20 GHzという高速で、ラーモア歳差運動を行っていることで、これは、右向きのスピンは(20 GHzの逆数の半分に相当する)25ピコ秒の間に左向きスピンになってしまうことを意味します。このため、量子相関を調べるためには、25ピコ秒よりも遥かに高いタイミング分解能を持つ検出系が必要となります。
今回、NII研究チームは、周期分極反転構造ニオブ酸リチウム(PPLN)導波路と超伝導細線単一光子検出器を組み合わせることにより、この困難を克服しました。PPLN導波路とは、ニオブ酸リチウムと呼ばれる結晶の極性を周期的に変化させることで、高い非線形性を持たせた導波路のことです。この導波路を用いることで、波長910 nmの単一光子と波長2.2ミクロンの光パルスから波長1.56ミクロンの単一光子を生成しました。一方、使用した超伝導検出器は通信波長帯で極めて高い単一光子検出効率を有しています。図2に示されているように、この手法により、8ピコ秒以下のタイミング分解能を実現しました。変換された光子が通信波長帯の波長を持つことは、この手法の特筆すべき点です。現在、全世界に張り巡らされた光ファイバ網は、波長1.5ミクロン付近での低損失を実現しており、この波長帯でなければ、長距離伝送はできません。したがって量子中継システムの開発において、通信波長帯の光子を用いることは、実用に向けて極めて大きな意味を持つのです。
このような準備を経て、単一量子ドットから自然放出された単一光子を偏光選択して検出し、続けてスピンの向きを測定して両者の相関を調べる、という実験を行いました。図3は、その実験結果で、異なる基底で検出したスピン-光子間の相関を示しています。いずれの場合も、スピンの向きと光子の偏光の間に強い相関が認められます。得られたデータを解析することで、忠実度(フィデリティ)と呼ばれる量子もつれの質を示す指標が92%程度であることが分かりました。この指標は、量子もつれのない古典相関の場合は最大でも50%にしかならないため、この実験では、極めて高い量子もつれが実現されたことになります。
半導体結晶成長技術を用いることで、ただ1つの電子が閉じ込められた直径数10 nm程度の微小領域を形成することが可能となります。量子力学の効果が顕著に現れるこの微小領域を量子ドットと呼びます。
電子は、右回りか左回りに自転しており、これにより上向きか下向きに磁場が発生します。この性質をスピンと呼びます。さらに、外部から光パルスを照射することで、スピンの向きを上向き・下向きだけでなく、任意の方向に向けることが可能となり、量子情報を担う量子ビットとして利用することができます。これは、ON・OFFの2値しかとることのできない従来のビット(古典ビット)とは根本的に異なる性質を持っています。
電子スピンを直流磁場中に置くと、上向きと下向きのスピンは異なる磁気エネルギーを獲得し、エネルギー差が生じます。これをゼーマン効果と呼びます。また、スピンはこのエネルギー差に相当する周波数で回転しています。これをラーモア歳差運動と呼びます。
光の、波としての性質より、粒子としての性質が重要となる場合には、光子という表現を用います。光子は偏光の自由度を持ち、その性質は、電子の持つスピンの性質と大変似ています。電子と光子の違いは、前者が物質中に固定されているのに対して、後者は自由に飛び回ることができる点です。そこで、電子スピンを情報を保存する量子メモリ、光子を情報を運ぶキャリアとして用いるというのが、量子通信における基本的なアイディアです。
2つの量子状態、ここではスピンと光子の状態が、線形重ね合わせ状態にあって、しかも両者の間に量子相関があるとき、量子もつれ状態にあると言います。古典相関では、例えば、スピンが上向きならば光子は水平偏光、スピンが下向きならば光子は垂直偏光という排他的な関係のみを指しますが、量子相関では、さらに、スピンが右向きならば光子は右回り偏光、スピンが左向きならば光子は左回り偏光といったように、どのような見方(基底と呼びます)でスピンと光子を見ても、常に相関が存在しています。量子もつれは、エンタングルメントとも呼ばれます。
遠隔(例えば大陸間)の量子メモリ間に量子もつれ状態を生成するため、全伝送路を複数のノードに分割し、近接する2つのノード(の量子メモリ)間に、まず量子もつれ状態を形成しておきます。そのためには、まず、量子メモリと光子の間に量子もつれが形成されていることが必須です。近接するノードからやってくる2つの光子に対して、ベル測定と呼ばれる測定を行うことで、近接メモリ間の量子もつれを生成することができます。その後、量子もつれスワッピングと呼ばれる操作により、より遠く離れた量子メモリ間に量子もつれ状態を形成することが可能となります。このように、量子もつれを遠隔地点に配信する技術を量子中継と呼びます。
教授 山本 喜久(ヤマモト ヨシヒサ)
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広報部 報道担当 廣田 幸子
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