今回の実験の背景
GPS津波計は、宇宙技術を活用した新しい海面変位計測装置として開発してきました。東日本大震災時には、国土交通省港湾局がGPS波浪計として東北地方を含む全国に15基を配備しており、リアルタイムでデータが公開されていました。各種マスコミで報じられたとおり、釜石沖のGPS波浪計が観測した津波高さのリアルタイムデータは6.7mを示し、気象庁はこのデータを含む複数のデータを根拠に津波警報を引き上げました。残念なことに、この第1波の観測データを発信した後、被災地域の大規模な停電によって、通信網は寸断され、それ以降のリアルタイムデータが発信されなくなってしまいました。ただし、観測データそのものは高台に設置された基準局のバックアップ電源の下、完全な津波波形が記録保存され、その後の種々の解析に活用されています。
今回の実験内容
「きく8号」によるデータ伝送実験は、高知県室戸岬沖(約40km)の海上ブイに設置しているGPS津波計で観測した波浪情報を、静止衛星の「きく8号」を用いて陸上に送る実験です。室戸岬沖では、高知高専や東大地震研などの科研費研究チームがGPS津波計の沖合展開のための機能拡大実証実験を進めています。災害等の非常時に強いデータ伝送手段として衛星回線を利用することを目指し、NICTは、JAXAの超小型端末を活用した小型センサ局を開発しました。すでに、平成24年8月には、高知県の陸上・海上(船上)からデータ伝送の基礎実験を行い、事前の動作確認及びデータを取得しました。10月24日からは海上ブイに小型センサ局を設置してデータ伝送実験を開始しています。
室戸岬沖のGPS津波計では、GPSブイで計測したデータだけを用いて海面変位をcmのオーダーで精密に単独測位できる
単独精密変位測位法(PVD法-Point precise Variance Detection method)を使って、毎秒毎に鉛直方向のブイ位置の変位を計測しています。今回行う実験は、この時々刻々の波の高さを示すデータを、「きく8号」を経由してNICT鹿島宇宙技術センターに送り、陸上のインターネット回線を用いて、種々の解析を行っている高知高専に送るものです。この衛星回線によるデータ伝送が実現すれば、GPS津波計を設置した地域が地震・津波で電力・通信網に甚大な被害が発生した場合でも、沖合での正確な津波観測データを日本国内はもちろんのこと、全世界に送り続ける技術が確立できます。
洋上に設置して波や潮流に揉まれるブイ上から観測データを長期間・連続的に衛星回線で伝送するためには、ブイに設置する衛星通信用アンテナの指向性の問題や通信装置等の省電力化が課題となります。この課題を解決するため、小型センサ局と大型展開アンテナ(19m×17m)を持つ「きく8号」を用いて確認・検証し、情報レートは低いものの、静止衛星に対して無指向性アンテナを用いて衛星通信を可能にしていることが、本実験の技術的特徴です。
提案課題
東日本大震災によってGPS津波計の開発を進める科研費研究チームへ提起された課題は2点あり、次の検討を進めています。
(1)GPS津波計のさらなる沖合展開
津波・波浪・潮汐の観測には、GPS測位による鉛直方向の測位データを用いています。このデータは、その使用目的からcmのオーダーの分解能と精度を有している必要があります。これまでのGPS津波計では、RTK(Real Time Kinematic )法と呼ばれる測位法を採用してこの要請に応えていました。しかし、このRTK法で安定した精密測位データを確保するには、あらかじめ緯度経度標高の明らかな位置に設置した基準局のデータを必要とし、この大量のデータを基準局から移動局へ長距離伝送する手段と測位の安定性確保に問題があり、基準局との離岸距離が20km程度に限定されることが課題となっていました。すなわち、沖合100km以上の海域への設置可能な技術開発には、長距離大量データ伝送方法とGPS測位法の改良が求められていました。将来のGPS津波計は、少量のデータ伝送とブイ上での精密単独測位ができることようにする必要があり、今回の実験で用いるPVD法はGPS津波計の日常用途である波浪計測においてこの要求を実現しています。
測位法の改良には、RTK法の改良と新たな測位アルゴリズムの導入の二つがあり、これらの開発に取り組みました。RTK法では測位誤差を引き起こす対流圏の影響の補正をより良くすることにより、100kmを超える離岸距離での測位の安定性を確保しました。また、洋上のGPSブイのGPS観測データだけで津波・潮汐を観測できるようにするための新たな測位アルゴリズムの検討を進めました。既に周期30秒程度までの短周期の波浪については、今回実験に用いるPVD法によって解決されている課題ですが、長周期の津波・潮汐の観測には、新たな視点での検討が必要でした。これには、国土地理院が全国に約1200カ所展開している電子基準点を用いてGPS衛星の位置と時計を正確に求め、この伝送負担の小さいデータをブイで計測するGPSデータに適用して測位する、
PPP-AR法(Precise Point Positioning with Ambiguity Resolution)によって、海面の鉛直方向変位を求めていくことが出来るようになりました。これらの新しい測位法は、現在推進中の科研費基盤研究(S)21221007の室戸岬沖のGPS津波計沖合展開実験において、データ公開中(
http://www.tsunamigps.com/)であり、良好な結果を示しています。
(2)被災地域の通信網の寸断に対する対策
基本となる対策は、被災の無い地域からの観測データの発信です。つまり、対象地域で観測された津波データを被災の無い地域に送り、リアルタイムに全世界に発信することです。今回の実験システムで、高知沖で観測されたデータを茨城県鹿嶋市にあるNICT鹿島宇宙技術センターに送り、高知高専に送り返す実験構成を構築したのは、例えば、南海トラフによる津波の観測結果を、鹿島からリアルタイムにデータ配信を行うことを模したものです。本実験によって、室戸岬沖GPS津波計の観測データがNICT鹿島宇宙技術センターへ正常に伝送出来ることを確認でき、将来、「きく8号」の持つ基本性能と同等以上の性能を有し、さらに通信速度の早い「防災等に資する次世代情報通信衛星」が実現されれば、本課題は全面的に解決されることになります。
これらの検討によって、衛星回線を用いたデータ伝送手段が確保できれば、衛星のサービスエリアの範囲内で離岸距離の制限無く大洋のいずれの位置にもGPS津波計を設置することが可能になり、東日本大震災によって明瞭に提起された課題を克服することができるようになります。