まだ、モールス符号を使った無線電信しかなかった時代に、無線で声を送る「無線電話」を世界で初めて実用化したのは、我が国日本でした。いわば携帯電話のご先祖様といえる「TYK 式無線電話機」が明治時代の日本で開発され、今年がちょうど100年にあたります。これを記念し、当時の実用化に携わった機関の関係者たちが、アマチュア無線の「記念局」を期間限定で開設し、先人達の業績を伝える活動を続けています。
活動の一つとして、2 月25日(土)と26日(日)の2日間、TYK式無線電話機を発明した逓信省電気試験所の後身である、独立行政法人情報通信研究機構(以下「NICT」、東京都小金井市)にその記念局を設置し、日本及び世界のアマチュア無線局と交信を行いました。
これに合わせNICTでは、逓信総合博物館が所蔵し、現在NICTにおいて修復作業を行っている同機の実機を、参加者に公開しました。同機は13台製造された記録がありますが、現存するのは同館が所蔵する2台だけで、国立科学博物館により「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」に指定されております(2008年度 登録第00003号)。
1876年、米国のアレクサンダー・グラハム・ベルらが電話機を発明し、日本では1890年(明治23年)に東京・横浜間で電話サービスが開始されました。当時は、電話機が電線でつながれた「有線電話」だけしかありませんでした。
一方、電波を使った無線通信は、19世紀末に、モールス符号(トンツー音)による「無線電信」がまず実用化され、電線ではつなげない船舶との通信や、 大西洋横断などの遠距離通信に使われ始めました。
しかし、無線で“声”を送る「無線電話」は、当時はまだ実験段階であり、実用化に向けて各国がしのぎを削っていました。もちろんラジオ放送が始まるのは、まだずっと先のことです。
そのような中で、我が国でも、逓信省電気試験所(現在のNICT)が、無線電話の研究を開始し、鳥潟右一博士、横山英太郎技師、北村政治郎技師の3名により、1912年(明治45年)に「TYK式無線電話機」と呼ばれる独自の技術(TYKは3技師のイニシャル)が開発され、その技術を元に安中電機製作所(現在のアンリツ株式会社)が装置を実用化しました(写真)。この装置は、世界に先駆けて実用化された無線電話機であり、三重県の鳥羽と神島(鳥羽から約14kmの離島)などに設置されて通話サービスを行い、1万5千通話以上の実用実績を残しました。
社団局(無線従事者の資格を持つ者が集まって開設するアマチュア無線局)の中には、特別な行事の際にのみ、総務省から期間限定で免許を受けて開設する「記念局」があります。
TYK式無線電話機の開発100周年を記念して、同機を実用化したメーカーの後身であるアンリツ株式会社の社員らによる社団局「アンリツ厚木アマチュア無線クラブ」が中心となり、「実用無線電話発明100周年記念局」(無線局の識別信号:8J100TYK)を立ち上げ、2011年9月2日に免許を受けた後、2012年7月29日まで期間限定で、全国や世界のアマチュア無線局との交信を行っています。これまでに多数の局と交信してきたほか、TYK式無線電話機ゆかりの地である三重県の神島において、記念運用と市民向けのラジオ製作教室を開催するなどの社会活動も合わせて行い、100周年をアピールしています。
今回、NICTの職員らによる社団局「情報通信研究機構アマチュア無線クラブ」が同記念局に協力し、NICT本部での運用が実現しました。また、東京電機大学工学部Ⅰ部アマチュア無線クラブ(東京都千代田区)、東京電機大学理工学部アマチュア無線クラブ(埼玉県比企郡鳩山町)、東京電機大学中学校高等学校無線部(東京都小金井市)に所属する大学生、中高校生、教員らも運用に参加しました。これは、同大学の初代学長である丹羽保次郎が学生時代に、鳥羽で実用に供されていたTYK式無線電話機を見学して大いに感銘を受け、逓信省電気試験所にも一時期在職していたという縁によるものです。当日、学生たちは手慣れたオペレーションで、たくさんのアマチュア無線局と交信していました。
最後に、今回の記念局運用に当たって、ご支援・ご協力いただいた関係各位に感謝いたします。