世界初、量子コンピュータを利用した屋外多数同時接続実験に成功

〜量子とデジタルをハイブリッドしたアルゴリズムの開発と実証〜
2024年7月25日

国立研究開発法人情報通信研究機構

ポイント

  • 量子コンピュータと古典コンピュータをハイブリッドした新たな実用的な演算手法を開発、屋外実験で実証
  • 次世代移動通信システムにおける同時接続数の増加で課題となる組合せ最適化問題に適用し、従来手法と比較して計算時間を約10分の1に短縮
  • 次世代移動通信システムにおける新たな無線通信信号処理としての活用へ
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICTエヌアイシーティー、理事長: 徳田 英幸)は、アニーリング型の量子コンピュータ(以下「量子アニーリングマシン」)と古典コンピュータとを併用する新たな演算手法(量子とデジタルをハイブリッドしたアルゴリズム。以下「本アルゴリズム」)を開発し、次世代移動通信システムにおける活用が求められる非直交多元接続技術信号分離処理に適用した無線通信実験に成功しました。
現在の第5世代移動通信システム(5G)では、同一周波数・同一時間を使用して、基地局アンテナ1本当たり1台の端末局と通信を行っています。一方、次世代移動通信システムでは、5Gと比較して同時接続数を10倍以上とすることが期待されています。本アルゴリズムを用いることで、基地局アンテナ1本当たり少なくとも7台まで端末局との同時接続が行えることをシミュレーションで確認するとともに、4台との同時接続を屋外実験で実証しました。量子アニーリングマシンを利用したアルゴリズムを用いて、実フィールドにおける多数同時接続技術(非直交多元接続技術)のオンラインでの実証を行ったのは世界初です。
非直交多元接続技術では、数万通り以上の大規模な組合せ最適化問題を解く必要がありますが、本アルゴリズムを適用することで、従来手法と比較して信号分離処理に要する計算時間を約10分の1に短縮できることを示しました。本アルゴリズムが実用化されれば、次世代移動通信システムにおいて、これまで膨大な計算量が障壁となっていた組合せ最適化問題(大規模なビームフォーミング等)を、短時間で行えることが期待されます。

背景

図1 量子アニーリングマシンを利用した上り回線非直交多元接続実験系の構成(写真を含む)と原理検証結果
[画像クリックで拡大表示]

次世代移動通信システムでは、現在の第5世代移動通信システム(5G)と比較して、同時接続数を10倍以上とすることが期待されています。これを実現する技術の一つとして注目されているのが、非直交多元接続技術です。5Gでは同一周波数・同一時間を使用できる基地局アンテナ1本当たりの端末局数は1台ですが、この技術を用いることで複数台にすることが可能になります。ただし、基地局では複数端末局から送信された信号を重畳して受信することから、端末局ごとに受信信号を分離する処理(信号分離処理)が必要になり、端末局数が増えるにつれて受信信号の組合せの数が指数関数的に増加するため、信号分離処理に要する計算量が増え、時間が掛かってしまいます。
組合せ最適化問題を高速に解くことができる計算機として注目されているのが量子アニーリングマシンですが、汎用的な計算は得意ではありません。非直交多元接続技術を含む次世代移動通信システムにおける信号処理では、大規模な組合せ最適化問題だけではなく、汎用的な計算もまた必要になることから、量子アニーリングの強みをいかせる実用的な演算手法の実現が課題となっていました。

今回の成果

NICTは、量子アニーリングマシンと古典コンピュータとをハイブリッドすることで、実用的な演算手法(本アルゴリズム)を開発し、無線通信で用いられる信号処理に適用し、オンラインでの実証を行いました(図1参照)。
本アルゴリズムは、組合せ最適化問題の計算を得意とする量子アニーリングマシンを組合せの候補(正解とは限らない)を出力するサンプラーとして使用し、マイクロ秒オーダーの時間内で複数の候補を得た後、古典コンピュータにおける事後処理(NICTの独自技術)を適用することで、限られたサンプル数でも精度良く統計分布に従う解を得る演算手法です。これは、単に二つの異なる計算機を接続するのではなく、各計算機の長所をいかせるよう設計の工夫を行っており、組合せ最適化問題を含む様々な信号処理の問題に適用することができます。
今回、次世代移動通信システムにおける多数接続性の拡張(5Gと比較して10倍)に向けて注目されている上り回線非直交多元接続技術を対象として、その信号分離処理に本アルゴリズムを適用しました。非直交多元接続技術における信号分離では、変調多値数(M)と同時通信端末数(K)により組合せ数はMKとなることから、指数関数的に計算量が増加する課題がありました。加えて、基地局のアンテナ本数に対して同時接続する端末局数が多くなるため単純な計算(線形方程式)では解けないという課題もありました。
本課題の解決に向けて、本アルゴリズムの有効性を計算機シミュレーションと屋外実験により確認しました。
図2 本アルゴリズムを用いた上り回線非直交多元接続シミュレーションの結果
(M=4の場合。基地局における受信信号は計算機シミュレーションで生成し、D-wave社量子アニーリングマシンを利用して信号分離を実施。)

まずは計算機シミュレーションによって基地局の受信信号を生成し、本アルゴリズムの性能評価を実施しました。具体的には、大規模な組合せ最適化問題(QPSK信号(M=4)、基地局のアンテナ1本当たりK=7まで、K=7のときの組合せ数は1万6千通り以上)に対して、古典コンピュータを用いた従来の信号分離と比較して誤り率特性が同等であることを確認しました(図2左参照)。また、本アルゴリズムを用いることで、信号分離処理に要する計算時間(量子アニーリングに要する時間の積算値として計算)は、古典コンピュータを用いた従来手法の計算時間と比較して、約10分の1に短縮できることを示しました(図2右参照)。
次に、本アルゴリズムを実装した無線通信実験系を開発し、屋外における電波発射による原理検証を目的とした実験(QPSK信号(M=4)、基地局のアンテナ1本当たりK=4)を行い、エラーフリー(誤り率がゼロ)で伝送できることを確認しました(実験時の信号対雑音電力比は約26 dB)(図1参照)。その結果、量子アニーリングマシンを用いた信号分離処理による非直交多元接続のオンラインでの屋外実験に世界で初めて成功しました。

今後の展望

今回の成果は、量子アニーリングマシンを用いた実用的な演算手法が無線通信信号処理に適用可能なことを実証したものであり、次世代移動通信システムが求める多数同時接続性能(5Gと比較して10倍)の実現に寄与するものです。今後、10倍の達成に向けた演算手法の改良や実証を進めていきます。また、次世代移動通信システムでは、大規模なビームフォーミングにおいても、大規模な組合せ最適化問題を解く必要があり、本アルゴリズムの応用が期待されます。
本アルゴリズム自体は無線通信信号処理以外にも適用可能であると思われ、今後、様々な組合せ最適化が求められる分野・領域への適用が期待されます。その他、本技術の実用化を加速するため、量子アニーリングマシン以外の量子効果を活用した計算機(量子ベクトルアニーラ等)や演算手法(量子インスパイアード等)を用いた際の評価を進めていきます。

論文情報

掲載誌: Proc. of IEEE International Conference on Communications 2023
DOI: 10.1109/ICC45041.2023.10279631
論文名: Quantum Annealing-Aided Multi-User Detection: An Application to Uplink Non-Orthogonal Multiple Access
著者: Kouki Yonaga and Kenichi Takizawa

本研究開発の一部は、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)JPMXS0120319794の助成を受けたものです。

用語解説

量子アニーリングマシン

量子コンピュータは、「ゲート型」と「アニーリング型」の二つに大きく分けられる。このうち、アニーリング型の量子コンピュータのことを量子アニーリングマシンと呼ぶ。「アニーリング型」は、東京工業大学・西森秀稔教授が1998年に理論を提唱し、カナダ・D-Wave社が2010年頃に世界で初めて実装した量子計算機である。金属の焼きなまし処理(アニーリング)と同じような処理を量子の物理現象で行うことで、最小エネルギー状態の探索を行う。量子アニーリングは、組合せ最適化問題の解を効率良く見つけるのに適しているといわれている。


古典コンピュータ

ビット(0又は1)を用いた論理回路で演算を行うコンピュータのこと。身の回りにあるスマホやパソコンのほか、スーパーコンピュータを含む従来型のコンピュータを含めて、特に量子コンピュータと比較する際、古典コンピュータと呼ばれる。


次世代移動通信システム

6Gのような2030年以降の次世代移動通信システムについては、2023年にITU-Rが発行した“Framework and overall objectives of the future development of IMT for 2030 and beyond(ITU-R M.2160-0)”において、期待されるユースケースや必要とされる機能が示されている。多元接続性能に関しては、5Gと比較して10倍以上とすることが目標数値として示されている。


非直交多元接続技術

無線通信において、基地局との複数端末局との通信で、干渉が生じないように時間や周波数の割当てを行う(=直交多元接続技術)のではなく、端末局間の干渉を許容する代わりに同時接続台数を増大させる技術のこと。基地局では、複数端末局から送信された信号を重畳して受信することから、その信号の組合せを分離する処理が必要になる。なお、2023年にITU-Rが発行した“Framework and overall objectives of the future development of IMT for 2030 and beyond(ITU-R M.2160-0)”において、次世代移動通信システムにおける多元接続技術の候補として、非直交多元接続技術が示されている。


信号分離処理

次世代移動通信システムでは、5Gと比較して10倍以上の同時接続数の実現が求められている。これを実現するための技術として期待されているのが非直交多元接続である。この非直交多元接続では、同じ時間・同じ周波数を使って、基地局アンテナ1本当たり複数の端末局から送信された信号を受信する。よって、個々の端末局から送信されたデータを取り出すためには、基地局で受信した信号を分離する必要がある。これを信号分離処理と呼ぶ。代表的な信号分離処理手法の一つとして、逐次干渉除去処理という手法があるが、基地局での受信信号電力差を端末局間で十分に与える必要があるため、同時接続数を10倍以上とすることが難しいという課題があった。


組合せ最適化問題

膨大な選択肢の中から最適な選択肢を選択する問題のことを指す。身近な例を挙げると、電車の乗換検索で、出発地から目的地までの最短経路を求める問題がある。組合せ最適化問題は、規模が大きくなると組合せの数が指数関数的に増加し、最適な選択肢を見つけ出すことが難しくなるという特徴がある。


ビームフォーミング
アンテナから放射されるビームパターン(電波の向きと幅)の形を制御することをビームフォーミングと呼ぶ。ビームフォーミングを行うため、たくさんの素子(例えば、8×8=64素子)から構成されるアンテナを用いて、各素子に入力する送信信号の位相を制御する。各素子に入力する信号の位相を8段階で設定できるとすると、64素子のアンテナでは864の組合せが考えられる。このうち、無線通信を行うために最適なビームはどれなのかを選ぼうとすると、大規模な組合せ最適化問題を解く必要がある。


変調多値数、QPSK信号

デジタル無線通信では、送信したい2値の0/1データのそれぞれに対して、異なる電波の状態を割り当てる(変調する)ことによってデータを送信する。1回の変調で作れる信号波形(シンボル)に対して、割り当てることが可能な状態数を変調多値数(M)と呼ぶ。例えば、QPSK(Quadrature Phase-Shift Keyingの略。位相が90度ずつ異なる四つの位相(例: 45度、135度、225度、315度)に送信ビットを割り当てる。)信号は1シンボル当たり2ビットを割り当てることができるので、変調多値数Mは4となる。

本件に関する問合せ先

ネットワーク研究所
レジリエントICT研究センター
サステナブルICTシステム研究室

世永 公輝、滝沢 賢一

広報(取材受付)

広報部 報道室