■電気通信研究所に太陽雑音観測アンテナが竣工(1949年7月)一方、東京天文台よりも2か月早く、電気通信研究所大井電波観測所(埼玉県ふじみ野市)に、太陽雑音観測アンテナが完成したという記事が、通研月報(現在のNTT技術ジャーナル)の1949年7月号に掲載されています[3]。このアンテナ(図2)は、デリンジャー現象の警報及びVHF帯における天体雑音を研究する目的で設置され、東京天文台のアンテナの4倍(8×8)の有効面積を有していました。川上と秋間は、このアンテナを使用して、1950年2月から約1か月間に渡って、太陽雑音(昼間)と銀河雑音(夜間)の連続観測を行いました。この時の観測で使われた周波数は61.2 MHzで、前述の東京天文台のアンテナによる200 MHz帯の同時受信結果と比較した、2波の太陽雑音グラフが、資料[2]に掲載されています。■平磯電波観測所に太陽電波観測アンテナを設置(1952年3月竣工、9月観測開始)こうして太陽雑音観測アンテナすなわち電波望遠鏡が我が国で産声を上げた頃に、電信電話事業のための実用化研究に注力しようとする電気通信研究所から、電離層観測等の公共的な研究観測業務を行う部署が独立することになりました(後のNICT)。大井電波観測所は電気通信研究所に残ることになったため、代わりに平磯電波観測所(茨城県ひたちなか市)に、200 MHz帯4×6ダイポールアンテナが設置されました。この頃には太陽電波は、無線通信路への「雑音」であるほかに、デリンジャー現象など短波通信等に妨害を与える太陽活動の重要な「手がかり」を含んでいることが明らかになってきたため、電波のじょう乱を予測・周知する「電波警報」の判断データとするための、太陽電波の定常観測が、このアンテナを使って始まりました。やがて平磯電波観測所では、より高い周波数や、より広帯域の周波数を横断的に観測できる、高性能な太陽電波観測装置が整備されていき、役目を終えたこのアンテナは、1972年1月中旬に撤去されました。撤去される前に、太陽電波観測創設期のメンバーがアンテナの前に集まって別れを惜しんだ集合写真が残っています(図3)。写真の右端の人物が川上謹之介です。■平磯の業績は永遠に電波警報は宇宙天気予報に衣替えし、平磯電波観測所は、無人のNICT平磯太陽観測施設を最後に、2016年に102年の歴史を閉じました。その記念として、上記のアンテナを含む同施設の数々の業績を紹介する解説プレートが、同施設跡の最寄りに2021年に開業した、ひたちなか海浜鉄道湊線 美乃浜学園駅に、このほど設置されました(図4)。我が国の黎れい明めい期の電波望遠鏡を手がけた川上と秋間は、当時の資料[2]において、次のように述べています。「最近では太陽及び銀河雑音の観測により天体の構造、性質を研究する手がかりが得られ、いわゆる「電波天文学」と称する新しい学問の発展を見るに至った。」我が国における電波天文学の誕生に、現在のNICTに連なる通信技術者たちが大きく寄与していたことを、この解説プレートがいつまでも地元の人たちに伝えてくれることでしょう。本稿執筆にあたり、 黎明期の電波望遠鏡について意見交換と資料提供をいただいた、国立天文台の齋藤正雄教授に感謝いたします。図3 平磯電波観測所200 MHz帯太陽電波観測アンテナの使命達成記念会図4 2022年12月に美乃浜学園駅に設置された平磯太陽観測施設の解説プレート(写真提供:富田二三彦)1971年7月23日撮影メンバーによる寄せ書き参考文献[1] “電波望遠鏡第1号, ” 天文遺産 宇宙を拓いた日本の天文学者たち, pp.96–99, 別冊日経サイエンス245, 日経サイエンス社, 2021年.[2]川上謹之介, 秋間浩, “宇宙雑音に就いて(主として太陽雑音の観測結果に就いて), ” 電波資料集, no.1, pp.153–172, 電波監理委員会中央電波観測所, 1951年3月.https://doi.org/10.24812/nictkenkyuhoukoku.CRWO.D.1_153[3]“太陽を追う巨人アンテナ 大井電波観測所に完成, ” 通研月報, vol.2, p.343, 電気通信省電気通信研究所, 1949年7月.https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2321791/3713NICT NEWS 2023 No.2
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