我が国における電波望遠鏡の誕生太陽雑音の観測から始まった電波天文学河から到来する電波の存在に最初に気づいた人物は、米国ベル電話研究所の通信技術者カール G.ジャンスキーで、1931年のことでした。それに対して、人類に最も身近な天体である太陽からの到来電波は、太陽光によって地球で発生する電波との見分けがつかなかったため、発見が遅れました。第2次世界大戦中に、電波監視やレーダーのためにVHF帯以上の高い周波数で指向性の強いアンテナが使われるようになったことで、ようやく発見されたのです。天体から到来する電波を受信することを目的とする「電波望遠鏡」は、通信技術者と天文学者の協力によって誕生しました。光学観測のみを守備範囲としていた天文学者たちは、電波を使った宇宙観測の重要性を最初は理解できず、一方、ジャンスキーを含む通信技術者たちにとって宇宙電波は、無線通信の品質に悪影響を与える「雑音」であり、その性質を突き止める必要に迫られていました。そのため、当初の電波望遠鏡は、通信技術者がその必要性を主張して開発を主導し、天文学者はそれを利用するという関係でスタートしました。■東京天文台で初の電波望遠鏡が稼働(1949年9月)東京都三鷹市の東京天文台(国立天文台の前身)に、我が国の電波望遠鏡の第1号とされる太陽雑音観測装置が設置され、観測が始まったのは、1949年9月のことでした(図1)。その装置は、NICTの前身である文部省電波物理研究所(東京都小金井市)の前田憲一所長が、東京天文台の萩原雄祐台長に働きかけたことがきっかけになり[1]、同じくNICTなどの前身である電気通信省電気通信研究所の川上謹之介と秋間浩によって、製作、設置されたものです[2]。同装置は、200 MHz帯の受信機と、反射器付きの4×4ダイポールアンテナから成り、日周運動を追うための架台は、東京天文台が別の観測に使っていた光学望遠鏡の架台を流用しました[1]。川上と秋間は、この装置について、「わが国で最初に太陽雑音を実験的に確認することができた。」と述べており、設置と観測の立ち上げまで、この2人が行ったことを報告しています[2]。滝澤 修(たきざわ おさむ)NICTナレッジハブ上席エキスパート大学院修了後、1987年郵政省電波研究所(現・NICT)入所。音声言語情報処理、テキスト秘密分散セキュリティ技術、防災減災ICTの研究に従事した後、2021年より現職。ICTに関わる組織史の調査に従事。業務企画部電波利用管理・ものづくり室長を兼務。2012年より東京学芸大学客員教授(理科教育におけるICTの活用)。博士(工学)。FEATUREアンテナを活用した研究開発Antennas Lead Innovave Researches in NICT銀図1 川上と秋間が東京天文台構内に設置した200 MHz帯太陽雑音観測アンテナ(写真提供:国立天文台)図2 電気通信研究所大井電波観測所の太陽雑音観測アンテナ[2]NICT NEWS 2023 No.212
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