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光通信の限界を超える新しい信号増幅の原理を世界で初めて実証

英国科学雑誌「Nature Photonics」に掲載

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2010年2月8日

独立行政法人情報通信研究機構(以下「NICT」という。理事長:宮原 秀夫)は、従来の光通信の限界を超える新しい信号増幅の原理を世界で初めて実証しました。これは、量子もつれと呼ばれる信号間の特殊な結びつきの強さを増幅する技術です。量子もつれは減衰に極めて弱く、伝送途中で増幅する操作が必須です。特に、光通信の限界を克服するためには、単一光子間の量子もつれのみではなく、多くの光子を含んだ量子もつれの増幅が必要ですが、これまで実現されていませんでした。今回の成果により、低電力・大容量通信へ向けた研究開発に新局面が開かれることになります。本成果は2月7日(英国時間)付の英国科学雑誌「Nature Photonics」に掲載されます。

背景

現在の光通信の限界を超える新技術として期待される量子情報通信では、空間的に離れた複数の信号間に、量子もつれと呼ばれる特殊な結びつきを作ることが重 要です。この量子もつれをネットワーク上の様々な場所で利用することで、超並列計算や、盗聴不可能な暗号通信、さらには低電力・大容量通信が実現できま す。しかし、量子もつれは減衰に弱いため、伝送途中で壊れてしまった量子もつれから、強い結びつきを回復し、増幅する操作が欠かせません。特に、光通信の 限界を克服するためには、現在使われているレーザー光と同様に、多くの光子が集まった波の状態の間で量子もつれを形成し、増幅する必要があります(いわゆ る多光子量子もつれの増幅)。このような操作は、これまでに実現されている単一光子間の量子もつれ制御より難易度が高く、これまで実現されていませんでした。

今回の成果

NICTでは、それぞれに最大10個程度の光子を含んだ、2つの光パルス間の量子もつれの強さを増幅することに、世界で初めて成功しました。ここで鍵となったのは、NICTが独自に開発した、信号パルス内の光子をフィルタリングする技術です。EDFAなど従来の光信号増幅技術には限界があり、減衰した量子もつれを増幅することは不可能でした。今回の原理では、その限界を超えて量子もつれを回復・増幅することができます。出力で得られた状態は、これまで世界で観測された光の状態の中で、最も純度が高い状態になっています。この技術は、与えられた送信電力を用いて最大の伝送容量を実現するために必須の技術です。また、光を用いた量子計算のためにも重要な一歩です。

今後の展望

量子もつれを形成する信号パルス内の光子数を、さらに数10光子レベルまで増やすことができれば、将来ネットワークの中継点や結節点(いわゆるノード)で、今回実証した原理を利用することが可能になります。さらに、ノード内でこの増幅原理と量子計算を組み合わせることで最低電力・最大容量の通信ネットワークを実現することができます。

発表論文

英国科学雑誌「Nature Photonics
"Entanglement distillation from Gaussian input states,"
Hiroki Takahashi, Jonas S. Neergaard-Nielsen, Makoto Takeuchi, Masahiro Takeoka, Kazuhiro Hayasaka,
Akira Furusawa, and Masahide Sasaki, DOI:10.1038/NPHOTON.2010.1.
*本研究は、東京大学(総長:濱田純一)の協力を得て行いました。

補足資料

多光子量子もつれの増幅の仕組み

伝送路の損失によって減衰した量子もつれを回復させるための実証実験は、これまで単一光子のパルス間における量子もつれを用いてなされていました 。複数の光子を含むパルス間の量子もつれ、いわゆる多光子量子もつれの増幅は、パルス内の多くの光子を一度に乱すことなく操作する必要があり、従来の技術では実現が不可能であることが理論的に示されていました 。ただし、特殊な雑音で劣化した極めて限定的な信号形態の場合のみ、従来技術でも多光子量子もつれの増幅が可能で、2007 年に実証実験が行われています

図1 多光子量子もつれの増幅を実現する量子フィルタリングの概念図
図1 多光子量子もつれの増幅を実現する量子フィルタリングの概念図

これまでNICTでは、どのような信号形態においても多光子の量子もつれの増幅を可能にする、新技術の開発を進めてきました 。この技術は、離れた2か所に伝送された量子もつれの各信号パルスを、部分反射ミラーを介して一部、光子検出器へ導いて観測し、光子が検出された時のみフィルタを開いて信号と通すというものです。このフィルタリング操作を通じて、不都合な信号パルスを捨てながら雑音を分離しつつ、信号振幅の大きさを増強するというものです。この仕組みでは、ある程度の失敗確率を許すことによって、従来技術では不可能だった極めて低雑音の信号増幅を可能にしています。図1にフィルタリングしている様子を概念的に示しています。

多光子量子もつれ増幅の実験結果

2つの光パルス間に形成された量子もつれの強さは、対数ネガティビティと呼ばれる量で検証出来ます。図2に示した測定結果では、青い点で示したように、フィルタリングを行うことによって、フィルタリングなしの緑の点に比べて、明確な増幅効果が観測されました。横軸の初期スクィーズレベルとは、入力の量子もつれの度合いに対応した量で、様々なレベルの量子もつれで実験を行っていることを示しています。

図2 量子もつれが増幅された様子
図2 量子もつれが増幅された様子

青い点で示したように、フィルタリングを行うことによって、フィルタリングなしの緑の点に比べて、明確な増幅効果が観測されました。横軸の初期スクィーズレベルとは、入力の量子もつれの度合いに対応した量です。なお、点線は理論曲線です。

今後の展望に関する補足

今後の当面の課題は、量子もつれを形成する信号パルス内の光子数を、さらに数10光子レベルまで増やすことです。これができれば、ネットワークのノード内で、現在の光通信で使われているレーザー光信号と相互作用させることが可能となります。次に、さらに量子もつれの信号数を増やすことによって、ノード内で量子計算を行うことが可能になり、この技術によって、与えられた送信電力を用いて最大の伝送容量を実現できることが理論的に示されています 。つまり、最低電力・最大容量の通信ネットワークを実現することが可能となります。

参考文献

 P. G. Kwiat et al., Nature 409, 1014 (2001); ibid. J.-W. Pan et al.,410, 1067 (2001); ibid. T. Yamamoto et al., 421, 343 (2003); ibid. R. Reichle et al., 443, 838 (2006).
 J. Eisert et al., Phys. Rev. Lett. 89, 137903 (2002); ibid. J. Fiuraek, 89, 137904 (2002); G. Giedke and J. I. Cirac, Phys. Rev. A 66, 032316 (2002).
 B. Hage et al., Nature Phys. 4, 915 (2008); ibid. R. Dong et al., 4, 919 (2008).
 K. Wakui et al., Opt. Express 15, 3568 (2007); H. Takahashi et al., Phys. Rev. Lett. 101, 233605 (2008).
 V. Giovannetti et al., Phys. Rev. Lett. 92, 027902 (2004).
 A. Waseda et al., J. Opt. Soc. Am. B 27, 259 (2010).

用語解説

量子もつれ

2個以上の量子(光子や電子のような粒子)が、古典力学的には考えられない特殊な相関をもって結びついている状態をいいます。この状態を構成する量子のうち、ある1つについての情報が測定によって確定すると、それにともなって別の粒子についての情報も確定します。この量子もつれ状態が、量子計算などといった量子情報技術の基盤となっています。

光子

量子力学によれば、光は波の性質と粒子の性質を併せ持っています。光の粒子は光子と呼ばれ、これ以上分割することのできない光のエネルギーの最小単位です。例えば光通信で通常用いられる1.5ミクロンの波長では、1光子のエネルギーは約1000京分の1(1京は1の後に0が16個ついた単位)ジュールという極めて小さな値になります。

EDFA

Erbium Doped Fiber Amplifier(エルビウムドープファイバ増幅器)は、光ファイバにエルビウムイオンを添加した増幅装置です。近赤外域、特に大陸間通信で用いられる1.5ミクロンの波長の光を増幅できるため、長距離光通信には必要不可欠の技術です。しかし、原理的に雑音の混入が避けられず、長距離・大容量通信の限界の要因の一つにもなっています。そのため、新原理に基づく増幅装置の開発が待たれています。

量子計算

従来の計算は1ビットにつき、0か1どちらかの値しか持ち得ないのに対して、量子計算では0でありながら同時に1である状態、いわゆる量子ビット(qubit; quantum bit)という概念が導入されます。これにより、1ビットにつき0と1の値を任意の割合で重ね合わせて保持することが可能で、n量子ビットあれば、2のn乗個の状態を同時並行に計算できます。理論上、現在の最速スーパーコンピュータ(並列度が220以下)で数千年かかっても解けないような計算でも、例えば数10秒といった短い時間でこなすことができます。

現在、レーザー冷却イオン、超伝導素子、半導体素子、光量子回路など種々の物理系を用いて研究開発が進んでいますが、実用化にはまだ年月を要すると目されています。これらの中で、光量子回路を用いた量子計算は、光ネットワークと組み合わせ量子情報通信ネットワークを構築してゆく上で欠かせないものです。小規模であっても従来の光通信技術と組み合わせることで、送信電力を削減したり、伝送容量を向上させることができるため、実用上も重要な研究開発課題です。

<本件に関する 問い合わせ先>

新世代ネットワーク研究センター

量子ICTグループ
佐々木 雅英、和久井 健太郎
Tel:042-327-6524
Fax:042-327-6629
E-mail:

<広報 問い合わせ先>

総合企画部 広報室

報道担当 廣田 幸子
Tel:042-327-6923
FAX:042-327-7587
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